大塚英志 『更新期の文学』

 すさまじく荒れてます。内容も,文章も。エッセイ仕立てでブンガクを論じているというか,わめき散らしているという体たらく。しかも怒りをぶつける相手が不明瞭で,何に対して怒っているのか,問題認識が伝わってこない(書かれてはいるのだけれど)。時折出てくる固有名詞も「本人は見たこともない触ったこともないシナリオ生成支援ツールDramatica」「田山花袋」「樋口一葉」「舞城王太郎」などに限られており,視野狭窄
 まぁ,大塚英志も間もなく五十歳ですし,『更年期の文学』を書きたくなるお年頃でしょう。
――という揶揄の登場を大塚自身が「あとがき」で予想しているのたが,未だ誰も挑んでいないようなので書いておく。ネタからベタへ!
 さて,論壇に向かって様々な攻撃を行っている本書『更新期の文学』(ISBN:4393444132)。そこから段落単位で取りだしてみると,興味深い問題提起として捉えることはできます。しかし,個々の論証は詰めが甘いので,説得力は弱い。そのぶん,オオツカお得意の高慢・傲慢・欺瞞に満ちたポーズの方が先導してしまい,鼻につく。全体を通じては「現在は近代のやり直しだ」と主張したいのでしょうが,何だかなぁというのが率直な意見。大塚英志にとって,昭和という時代が生み出したものは「柳田国男」と「村上春樹」だけなのだろうか。
 第4章「サブカルチャー主義のファシズム的リスク」は,比較的に整っていて読解しやすい。

「アニメやコミックはまさに〈構造〉しかない表現だ」

という柄谷行人の引用にはじまり,「〈属性〉を関係づける所与の〈構造〉がそこには明瞭になければならない」と論を進め,そして,

「ギャルゲーや『ファウスト』系文学は,〈属性〉の組み合わせからなるキャラクター造形の順列組み合わせ的な差異の中にオリジナリティを発生させようと腐心するが,しかし,その結果,しばしば〈属性〉の要素に過度な刺激を代入する傾向にある。」

という着眼の提示を行う。ところがこの章にしても,キャッチフレーズ「機能性(サプリメント)小説」が出てくるあたりから論旨が崩れてしまっていけない。もっとも,本書に「まとまり」を要求している段階で誤読なのだが。