塩野七生 『迷走する帝国』

 ここしばらく,就寝前の読書に文庫化された塩野七生(しおの・ななみ)の『ローマ人の物語XII』を読んでおりました。

ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82) ローマ人の物語〈33〉迷走する帝国〈中〉 (新潮文庫 (し-12-83)) ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84)

 この巻で扱うのはカラカラ帝(在位211-217)に始まる時期。東方ではササン朝ペルシアが成立(226年)し,西方ではゲルマン人による防衛戦(リメス)突破が相次ぐという状勢にあっては,73年間に皇帝22人が現れては消えても,当事者には打つ手が無いと思ってしまう。
 ゲルマン人に関していえば,ローマ帝国とは友好的関係にあった近蛮族が,遠蛮族によって制圧・併合されて変質を遂げたことが理由として挙げられている〔上巻199頁以下〕。取りあえずはこの説明で足りるにしても,その遠蛮族(バルバリ・インフェリオール)が何故動き始めたのかについての叙述を欠いているところが腑に落ちなかったところ。もっとも,このあたりが歴史家ではなく小説家が書いていることの表れであろうから,批難するようなところではなかろう。

 この巻における言説は2つに集約される。まず第1に,ローマ帝国の“ローマらしさ”は当の本人が意識せずして行った施策の間接的影響であるとしている点(具体的には,属州民にもローマの市民権を付与したカラカラ帝の市民権法と,同じくカラカラ帝による機動部隊の編成)。そのて第2は,下巻の末尾において一章を割いて滔々と語られるキリスト教の勢力伸長。どちらの箇所でもナナミ節を堪能。