谷川流+武田日向 『蜻蛉迷宮 #1』

 原作:谷川流(たにがわ・ながる)+作画:菜住小羽 (なすみ・こはね)『蜻蛉迷宮(カゲロウメイキュウ)』の第1巻(ISBN:4048680676)を読む。読むたびに谷川流との相性の悪さにもう手に取るのをやめようとするのですが,くじけそうになると某giolumさんとか某trivialさんとかが〈読み〉の可能性を教えてくれるので,付き合いを続けています。

 本作『蜻蛉迷宮』は読む前に「カリヨン」の舞台探訪に連れて行かれたりして興味を持っていたところなのですが,ようやく単行本にまとまりました。
 学園ものの一種ではありますが,青春路線との印象を強く放つ表紙とは裏腹に,話の筋は相当にエニグマティックだじぇ。旧家の因習だの座敷*だのといった禁忌の要素を多分に含み,半世紀ほど前の探偵小説ものが持つ世界観を漂わせます。
 歴史が一回りした古いガジェットを分解再構成――というのは谷川流がこれまでにも『学校を出よう』『イージス5』で手がけてきているどころですし,ダークな作風であれば『絶望系』の前例があります。第1話を読んだところでは,執筆スタイルが共同になってもやはり本作は「谷川流」の作品群のひとつを構成するものだなぁと理解しました。
 読了して気がついたこと。私がこれまで谷川流は好きじゃないのに嫌いになれないでいたのは,叙述形式の問題だったのかもしれません。本作のテーマ(主題)は谷川流のものであるとして読んでいるし,セリフまわしも谷川流ならのではの言葉選びだと感じているのに,いつも読んでいる途中に湧いていた嫌悪感が無い。
 してみると“谷川流は(主題選択は)好きなのに(文章の語り口が)嫌い”ということだったのでしょうか。漫画という形態を取ったことにより,作画担当者(菜住小羽)による解釈&描写という手順を経由して提示されたため,相性問題が回避されたような……。
 コミックという形態の欠点として(文章表現よりも)物語的進度が遅いということがあり,第1巻は中盤に差し掛かったところで終わっております。本作のテーマについての論評は,また後日。今回は焚きつけられるまでもなく続きが楽しみ。