のんびり行こうぜ

 野田知佑のんびり行こうぜ」読了(ISBN:4101410038)。1984年秋から1986年冬にかけてのエッセイを集めたもの。
 筆者はカヌーイストとして知られる。椎名誠氏とは遊び仲間であるからして、この二人の本を読んでいると、連れだって出かける場面が頻繁に出てきます。しかし、同じアウトドア・エッセイストでも、書き方のアプローチが全く異なる。主語からして違う。シーナさんは「俺はァ」なのに対し、野田さんは「ぼくは」なのだから。
 そこから、野田知佑は柔和で温厚で包容力がある、などという幻想をもって結論づけてはいけない。あくまで文体の違いを述べているだけに過ぎないのだから。「田舎の人は純朴ないい人」といった誤った固定観念などは見事に粉砕し、「田舎の倫理は『弱肉強食』である」ことを自らの腕っぷしで実証してみせる気骨の人、なのです。自然礼賛の一方ではなく、「街や人工のものが大好き」という人の存在を認めているところに、先達の余裕がみてとれます。
 彼の人が静かに怒りを露わにするのは、公権力に対峙する時。本書の中に、ニュージーランドからやって来た青年(ポール・カフィン)が、シーカヤックで日本一周に挑むエピソードがあります。4箇月をかけての冒険で障害となったのは、海上保安庁の妨害であったという。事務所に出頭しろと言ってみたり、海上でパスポートの提示を要求したり…… ゴムボートによる急流下りレースでは、警察が1日のうちに14回中止要請に来て、開催するなら中止勧告があったことを書面にして残せ、と言い渡したこともあったとか。もし、パンプローナ牛追い祭りのようなものを企画しようとしたら、警察と役場とマスコミから徹底的に弾劾され挫折するだろうことは、想像に難くありません。諏訪大社御柱祭(おんばしらさい)のように、宗教色でもないとね。
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 日本において冒険する自由は、役所によって抑え付けられている。当人が危険の存在を熟知し、死傷しても構わないからやってみたいのです――といっても認めないのが、日本の根底にあるシステムなのだから。
 これは難所に出かけていくという《冒険》に限りません。例えば、何か素晴らしいアイデアを思いついて、新しい事業に乗りだすことにしたとしましょうか。すると、所轄官庁というものが乗り出してきて、何のために必要なのか良くわからない書類をたっぷり提出するよう命じていくのが常です。日本国憲法が高らかに歌い上げているはずの《営業の自由》など、どこ吹く風。
 先ほど登場した青年が日本一周を達成した時、祝賀会が催されたそうです。その会場は「ニュージーランド大使館」で、大使も歓談に加わっていたとか。国民気質の違いを、これほど如実に示すエピソードは無いでしょう。