萌え四コマの特性

http://blog.livedoor.jp/sweetpotato/archives/30765705.html
 id:SweetPotato さんによる最終取りまとめ。

 私はこれらの定義を融合して修正を加え、「萌え4コマ」の特性を以下のように与えたいと思います。
(中略)
 ここで「定義」ではなく「特性」としたのは、どんなキャラ(あるいは萌え要素)に萌えるかが人によって異なる以上、万人に共通した萌え4コマの基準=定義を与えることはできないからです。
(中略)
 結局、あなたが萌え4コマと思うものが萌え4コマである、という単純かつ当然の結論に至るまでに、回り道の回り道を長々として難しく考えすぎたということでした。しかし、やはりこの単純かつ当然な結論が、やはり本質なのではないかと思いました。
4コマ漫画読みのblog :: 結局「萌え4コマ」とは何だったのか

 この端緒となっているのは id:mikasa-dora さんから報告のあった,作り手の側からの証言。
http://d.hatena.ne.jp/mikasa-dora/20050827/p1竹本泉×芳文社編集部)
http://d.hatena.ne.jp/mikasa-dora/20050827/p2海藍×芳文社編集部)
 これらを読んで感じたのは,定義する(define)という態度そのものが効力を失った時代フェーズにあるのだろうか,ということ。これは先ほど評した『カーニヴァル化する社会』に通ずるところのように思われる。〈そこにあるもの〉を〈私の感覚〉で楽しむ〈祭り〉に,出発点の理論化は不似合いだ。カーニヴァルの意義を切々と説くなど,無粋だろう。
 いずみのさんによる「萌えの入口論」も,「定義をしないこと」を訴えかけることから始まっていた。違和感があって指摘はしてみたものの(id:genesis:20050818:p1),出発点については「それはさておき」という態度を取ったため,各論部分のどうでもいいようなことについてしか述べられず,まったく有効ではなかった*1。私の覚えた違和感の正体は,感覚的理解(皮膚感覚)の有無が深い淵として眼前に立ちはだかっていることの認識であったように思われる。


追記
http://d.hatena.ne.jp/snyd/20050828#1125251636

 つかさ 「ねえ、こなちゃん。萌えってなぁに?」(中略)
 こなた 「とりあえず、この単語を自然ととらえてる人がオタクじゃないかというのが私の意見。認識うすかったり、猛烈に反発するのが一般人。」
らき☆すた より引用

――うわ,オタクでも一般人でもないよ,私。どうしよう*2

*1:もっともこの件については,力量差が多分に関係していることを率直に認めざるを得ない。

*2:え〜と,〈サブカルオタ〉?