美少女ゲーム評論 はじめて物語

 美少女ゲームに関して文芸評論的アプローチが用いられ始めたのはいつごろで、どのような契機があったのか、ということについて少し考え込んでみたり。
http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20070624#1182725311

 それについては東浩紀動物化するポストモダン』(2001年11月)をマイルストーンにして構わないのではないでしょうか。パソコン通信(FCGAMEX)のログを探せば,アプローチを試みた人の足跡が見つかるかもしれませんけれど……。

 東よりさらに分け入って水脈を探すとなると,斎藤環戦闘美少女の精神分析』(2000年4月)の存在が思い浮かびます。ラカン派の精神科医という外部の視点から《萌え》が記述される試みがなされたことにより,オタクを客観化するアプローチの一つが示されたわけで,そのインパクトは大きなものでした。
 文学部の人と話をした時に,どうしてアカデミズムの領域では美少女ゲームを素材とした評論が行われないのかを聞いてみたことがあります。その理由の一つとして挙げられたのが「ポルノを扱うとフェミニズムに触ってしまうので危険だ」というものでした。斎藤+東がセクシャリティを迂回してみせた,というのは重要な舞台装置だと思います。
 関連したところでは,ネットワークおたく社会に対する“TINAMIX”の影響力は計り知れないものがありました。東による問題設定は,2000年2月に示されています(創刊は同年1月1日付け)。


 雑誌(紙)媒体ですと,『カラフルピュアガール(Colorful PureGirl)』1999年7月号(通算第3号)に掲載されている更科修一郎の“N.C.P.(Natural Color Phantasm)”が特筆に値します。その前の第1回と第2回はゲームレビューという体裁を取っているのですけれども,第3回から評論としての性格が強くなっています。「ロボット少女は電気羊の夢なんかみない」では〈少女幻想〉や〈マチズモ〉に触れています。ちなみに,時期的には『Kanon』の発売(1999年6月4日)より前の著作です。
 他方,d:id:then-dさんによる『ONE』のテクスト論は,1999年5月から始まっています。

 こうして見ますと,美少女ゲーム評論の活発化とビジュアル・ノベル形式の普及は時期的に重なっている――というのが無難なところでしょうか。
 私自身の記憶を辿ると,考察(シナリオ解釈)を必要とした最初は『DESIRE 背徳の螺旋』(1994年7月)でしたが。


 というのが『永遠の現在』向け原稿のプロットを書き起こす際に用意したメモ。ただいま迷走中...