シナリオライターの誕生 : 蛭田昌人,剣乃ゆきひろ,高橋龍也

 2010年夏のC78において,theoria(d:id:then-d)から発刊された『恋愛ゲームシナリオライタ論集 30人×30説+』に寄稿したエッセイです。
http://d.hatena.ne.jp/then-d/20120618/1340112564

1. はじめに

 前座として『ONE』(tactics、1998年5月)よりも前の昔話をいたしましょう。DOS時代を代表する人物を取り上げる――というのが本稿の趣旨ですので、歴史の流れを変えた蛭田昌人剣乃ゆきひろ高橋龍也の3人について想い出を振り返りつつ申し上げてまいります。
 私がパソコンに初めて触れたのは中学生であった1985(昭和60)年なのですが、その頃はプログラミングに使っておりました。市販ソフトを買うようになるのは大学に進んでからのことになります。1991年4月にFM TOWNSを購入したのですが、当時はバブル真っ盛り。購入した電器店がソフト3本をおまけとして付けてくれることになりました。〈サイキック・ディテクティヴ〉シリーズの『Orgel』(データウエスト、1991年4月)と、〈第4のユニット〉シリーズの『MERRYGOROUND』(データウエスト、1990年12月)までは直ぐに決めたのですが、もう1つが思い当たらなかったのです。そこで薦められたのが『闘神都市』(アリスソフト、1989年12月)でした。これが《美少女ゲーム》との出逢いです。
 今ではお馴染みとなった銀色に光るレーティングののシールにしても、1993年にソフ倫による業界自主規制が行われるようになって以降に貼られるようになったものであります。そもそも《18禁》という年齢による購入制限そのものが存在していなかった、そんな時代のお話なわけですが、この頃、既にアリスソフトは大手の一角としての地位を築き上げておりました。現在の所在地である大阪の「ハニービル」が竣工したのは1991年8月のことですが、それまでの所在地は奈良県橿原市であり、その象徴ともいえるのが雑魚キャラとして頻出するハニワ。そこから誰言うとなく『西のアリス』との愛称が生まれたわけですが、そうであれば東西両横綱になぞらえるべきでしょう――というわけで便宜的に『東のelf(エルフ)』と呼ばれるようになりました。これにお好みでD.O.(ディーオー)なりフェアリーテールなりを加えて『御三家』とする呼び方もあったのですが、二強が存在感を増すと廃れてしまいましたね。

2. 蛭田昌人

 作品づくりに関して言えば、アリスとエルフは両極にありました。アリスソフトは各作品に「アリスの館」という楽屋が仕込まれていることに表象されるように、昔からスタッフの個性を前面に押し出す造りをしています。グラフィックは美少女ゲームの本質とも言える要素ですから、誰が原画を描いているかは看板になりやすい。他方、シナリオは控えめな位置づけが与えられていました。そんな中にあって、アリスの「とり」さんは稀有な存在であったわけです。陰を含んだ『AmbivalenZ(アンビバレンツ) 二律背反』(1994年4月)や耽美な『夢幻泡影』(1995年7月)等、他に類を見ない独特な傾向の作品を手掛けておりました。少しばかり〈腐〉臭がすることはあるものの(笑)、美少女ゲームの間口を広げるのに寄与した方でありましょう。
 対するエルフはと言うと、集団としてゲーム作り上げる総合力に秀でていた――換言すれば、クリエイターの個性が表に出てこないというのが初期の作品群に対する印象です。1990年代前半はハードウェアの性能が低かったこともあって、コンピューターの持つ能力をゲームが引き出していたかどうかもユーザーから見た重要な評価のポイント。その点、エルフのプログラム技術は秀逸であり、新しいゲームシステムを次々と繰り出してきました。
 新技術という観点からすれば、1991年6月発表の『ELLE(エル)』について触れておかなくてはなりません。最初期のADV(アドベンチャー)は〈コマンド直接入力方式〉であったところ、堀井雄二の『オホーツクに消ゆ』(1984年)が〈コマンド選択方式〉を導入して好評を博したこともあって、1980年代後半には選択方式が主流となります。そのような状況下において、当時の新しい入力デバイスである〈マウス〉をゲームに採り入れ、画面をクリックすることでゲームを進めるというシステムを実装したところに『ELLE』の先進性があります。GUIが主流の現在からしてみれば当たり前のオペレーションですが、CUI(character user interface)が基本であるMS-DOSにあっては画期的なことでありました。ただ、最初のうちこそマウスを動かして(揉んだり、さすったりする)インタラクティブ性は面白いと思えたのですが、ゲームに詰まると次に何をすれば先に進めるのかが分からなくなりがちになるという欠点がありました。
 技術の高度化ということでしたら、1991年8月発表の戦闘シミュレーション『SHANGRLIA(シャングリラ)』も忘れがたいところです。マップを攻略する毎に各ユニットを率いる女性将校の脱衣CGが見られるというゲームシステムなのですが、その画像というのが縦2画面(640×800)の連続スクロールでありました。今日であれば、ブラウザーを立ち上げてウェブサイトを閲覧していると縦方向の画面移動は当然のように生じますから、一体それのどこがすごいのかが伝わりにくいところであります。当時としては、縦長の巨大なグラフィック(具体的にはキャラクターが身体を屈めたりせずに直律している構図)は大変に斬新に写ったものです。
 こうして振り返ってみますと、1990年代の前半においてエルフは技術革新の牽引役であったわけです。そして、エルフにおいて中心的な役割を果たした人物が蛭田昌人でありました。ただ、後述するように美少女ゲームの制作スタッフが個人として認識されるに至るのは後代になってからのことであり、プロデューサーが表に出てくるようなことはありませんでした。なんか、エルフのゲームに出てくる主人公って、いつもナンパ野郎なすけこましだよね――というくらいの認識に留まります。
 1989年に設立され、90年からは毎年4本のペースで作品を発表していたエルフが、1992年12月に発表したのが名作『同級生』です。この作品の歴史的な意義としては、大きく2点を挙げることができます。
 まず第一の点は、ゲームシステムに「時間」の概念が採り入れられたということです。『同級生』のコンセプトは夏休みの間に女の子をナンパしよう!というものです。ゲーム中の時間軸は8月10日から同月31日までに置かれており、この21日間をどれだけ効率的に利用できるか?というのがゲーム進行の特質となっています。『同級生』では、ある行動をとる(=選択肢を選ぶ)ことにより時間が進行しますが、このようなゲーム設計は画期的なことでした。歴史を遡りますと、コマンド直接入力方式の時代には「行動を決める(入力すべきコマンドを考える)過程こそがADVの醍醐味である」という主張も聞かれたものなのです。コマンド選択方式にしても、当初、直接入力方式の代替であると捉えられていたわけです。そのような発想に立つと、プレイヤーが行動選択のために試行錯誤している場面は〈一時停止〉の状態とすべきものであって、ゲーム内時間を進めるのは不適切という理解が生まれます。こうした暗黙の了解を脱した作品として『同級生』を捉えることができるわけです。このような自由な発想が得られたのは、プレイヤーキャラクターを用いての行動選択画面がRPG(ロープレイング)を模したものであったことが背景にあったであろうことは想像に難くありません。
 第二の点は、シナリオの複線化が行われたということです。それまでにも複数ヒロイン制は随所でみられたものですが、それらはADVの基本様式である一つのルート上にシナリオが直列に置かれているに過ぎませんでした。そこにSLG(シミュレーション)の要素を持ち込んだのが『同級生』の功績です。ナンパが目的である『同級生』ではゲームの攻略目標が〈どれだけ多くのヒロインと仲良くなれたか?〉に置かれました。そこで導入されたのが、SLGの手法です。『同級生』発表の前年に世に出た『プリンセスメーカー』(GAINAX、1991年5月)により、育成SLGというジャンルが誕生しておりました。『プリメ』が提示した着想は直ぐさま『卒業~Graduation~』(JHV、1992年6月)に応用され、発展を遂げます。『同級生』では総勢14名のヒロインが登場しており、ゲームの進め方によって結末が変化しますが、これはSLGから持ち込まれたパラメーター管理の手法が無ければ実現できなかったものです。
 このようにして、それまで別個に発展してきたADVとSLGRPGは『同級生』において一つのものとして融合しました。この一事を以て、プロデューサーとしての蛭田昌人の名は讃えられるべきものでありましょう。

3. 剣乃ゆきひろ

 1993年に発売された美少女ゲームは約200本で、様々なラインナップが揃いました。真正面から〈恋愛シミュレーション〉に取り組んだ作品としては『きゃんきゃんバニーエクストラ』(カクテルソフト、1993年7月)が挙げられるのですが、多様性に富んでいた一年であったという印象が強いところです。9801というプラットフォームにてアニメ表現に挑戦した『VIPER』シリーズ(ソニア、1993年6月~)、ファミレス制服格闘脱衣ゲームとして至高の存在たる『V.G.~ヴァリアブル・ジオ~』(戯画、1993年7月)、が登場したのがこの年。広義においてAVGに属する作品群にしても、実用性を重視してHシーンだけで構成された『あゆみちゃん物語』(アリスソフト、1993年9月)が登場しています。これは、シナリオが長大化する傾向にあった時代への反動として必然であったと言えましょう。《エロゲー》に対して何を求めるのかをめぐる対立関係は、後にシナリオ重視の〈純愛系〉と実用性重視の〈陵辱系〉とが分離していく際の牽引力となります。
 このような時代背景の下に旗揚げしたソフトハウスが、シーズウェア(C's ware)でした。すなわち、ゲームシステムの設計に趣向を凝らすことが名作となる条件ともいえた時代において、シンプルな造りの『禁断の血族』(1993年11月)という作品を提示したのです。洋館に住まう姉妹が淫靡な振る舞いにふけるというストーリーであり、濃密なエロ描写が話題となりました。《メイドさんもの》が美少女ゲームにおけるジャンルとして確立するには、ヴィクトリア朝に範を採った『殻の中の小鳥』(BLACK PACKAGE、1996年2月)ならびに『雛鳥の囀』(1997年3月、STUDiO B-ROOM)を待つ必要があります。が、「いぢめられっ娘」としてのメイドさんイメージを形成するにあたって『禁血』が大きく寄与したことは、記憶に留められるべきものでありましょう。
 シーズウェアは、続く『悦楽の学園』(1994年2月)においても隔離社会を舞台とした作品を提示します。これとほぼ時を同じくして、シルキーズ(Silky's)が『河原崎家の一族』(1993年12月)や『野々村病院の人々』(1994年6月)を発表します(今でこそシルキーズはエルフの関連ブランドであると知られていますが、当時は系列不明なソフトハウスでした)。RPG要素の強い大作である『Rance IV 教団の遺産』(アリスソフト、1993年12月)それに『ドラゴンナイト4』(エルフ、1994年2月)というが「明るいエッチ」を描いていたのと同時期に、インモラルな世界を描いた佳作も続いていたというわけです。
 ところがシーズウェアの第3作目『DESIRE』(1994年7月)は、前2作とは趣を異にするものでありました。この作品では〈マルチサイトシステム〉が導入されており、研究施設「デザイア」を訪問した記者アルバート、それに、デザイアに勤務する技術主任マコトの視点によって物語が紡がれていきます。両者の視点を切り替えることにより、1つの時間軸において発生した事象に対して複数の解釈が発生するわけです。これにより叙述の客観性は失われ、読者とっては何が真実であるのかが不明な状態に置かれます。アルバートとマコトの物語は謎を残したまま終了するのですが、プレイヤーに対しては最後に〈第3の視点人物〉による述懐が提示され、解決が与えられます。コンピューターにおけるADVゲームの長所として、紙にはできない進行管理が可能となることが挙げられます。『DESIRE』のマルチサイトシステムは、ADVゲームならではの利点を本格的に活かした作品として評価することができます。
 ただ、記憶に残るという観点から言えば、螺旋に囚われた少女ティーナの運命に触れずにはいられません。翌年に放映される『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明監督、1995年10月~96年3月)を巡って〈謎解き〉が繰り広げられたことは衆知のことと思いますが、美少女ゲームにおいてシナリオの解釈をめぐって議論が交わされたのは、私の知る限りでは『DESIRE』が最初です。すなわち『DESIRE』登場の意義とは、ゲームにおいて〈シナリオ〉が意識されるようになったということです。誤解を恐れずに言えば、美少女ゲームが“文学性”を獲得した瞬間であったとも言えましょう。遙か以前からゲームのビジュアル性を支えるものとしてテキストは存在していました。しかし、属人的な思索活動の営みの成果として生み出されたテキストが〈シナリオ〉という名を獲得したことによって、そこから遡って〈シナリオライター〉という存在が認識されるようになったのです。1994年の時点において美少女ゲームの歴史は12年を数えておりましたが、〈シナリオライター〉の名を冠するに相応しい最初の人物こそが「剣乃ゆきひろ」であったわけです。
 翌年、『EVE(イヴ)burst error』(シーズウェア、1995年11月)が発表され、マルチサイトシステムは洗練されたものとなります。その後、剣乃はエルフに移籍し、超大作『YU-NO この世の果てで恋を唄う少女』(1996年12月)を発表します。ただ、『YU-NO』について言えば、シナリオよりもゲームシステムの方を話題にしたくなります。A.D.M.S.(アダムス)と名付けられたオートマッピングシステムを用いて4つのシナリオを同時並列的に進行させる『YU-NO』のゲームシステムは、『同級生』が到達していた〈ADVとRPGSLGの融合〉という偉業に匹敵する程のものであったからです。

3. 高橋龍也

 『DESIRE』『burst error』『YU-NO』という作品群が美少女ゲームという環境で出現したというのは特筆すべき出来事であったと評価したいところです。ただ、剣乃三部作はADV形式のゲームを深化させた結果として生まれた1つの極北であり、その後に続くフォロアーは現れませんでした。そこで、当時の美少女ゲームの世相を掴んでおくため、周辺作品群について眺めることにしましょう。
 まず、剣乃作品とは逆方向に突っ走った例として挙げておきたいのは『リビドー7』(Libido、1994年6月)でしょうか。「オカズウェア」を自称することから明らかなように、グラフィックの実用性に注力したもの。『あゆみちゃん物語』の系譜に属しますが、ストーリーは支離滅裂でした。方向性としては同じながら、ロリ属性に向かったものとして『TEEN(ティーン)』(CUSTOM、1995年3月)もありました。ジャンルの細分化もみられるようになり、『禁忌 ~TABOO~』(SUCCUBUS、1995年3月)、『SEEK ~地下室の牝奴隷達~』(PIL、1995年3月)、『緊縛の館』(XYZ、1995年9月、)といった作品においてSM表現に取り組まれたのもこの頃です。ホラー的な要素を織り込んだ意欲作に、百貨店で人が行方不明となる謎を描いた『猟奇の檻』(1995年8月、日本PLANTECH)もありました。余談ですが、この作品に出てきたとあるエピソードのために、私は今でも牛肉が供されるとパサパサしていないかを確かめてしまいます。
 閑話休題。1994年から95年にかけての発表された作品一覧を眺めてみても、いわゆる〈恋愛シミュレーション〉に分類されるものは、あまり見当たりません。まぁ、ゲームを買う側からすれば『同級生2』(エルフ、1995年1月)さえあれば足りたと言うべきか、ライバル各社は『同級生』シリーズとは違うものを作ろうとしていたと言うべきか……。あえて1作を挙げみせようとすると、『恋姫』(Silky's、1995年5月)が思い当たります。比較的に陵辱的傾向の強かったシルキーズが、路線を変えて甘酸っぱい青春ものを作ったということで評価を受けた作品です。テキストの縦書きに取り組んでみせたというのも見どころでありました。
 そうした中にあって、独自色を打ち出そうと目論んだソフトハウスの1つがLeaf(リーフ)でした。企画を手掛けた高橋龍也は、それまで美少女ゲームにおいては見当たらなかったサイコホラーの要素をモティーフとして採り入れます。さらに、『弟切草』(チュンソフト、1992年)に倣い、グラフィックの上にレイヤー(層)として文章を重ねて表示する《ビジュアルノベル》というゲームシステムを導入します。そうして登場したのが『痕-きずあと-』(1996年7月)であり、『雫-しずく-』(1996年1月)でありました。
 結果として両作品は好評を博するわけですが、そのヒットは1996年という年で無ければ成し得なかったものでありましょう。
 まず第1に社会環境。1995年3月に発生した地下鉄サリン事件により「カルト」は否応なく現実の存在となっていました。また、1996年の第一四半期はTV版『エヴァ』の後半が放映された時期であり、精神分析への関心が高まっていた頃でもあります。
 第2に技術革新の前夜であったこと。Microsoft Windows 95 日本語版の発売(1995年11月)により、コンピューター市場は大きく変化しました。ハードウェアの面からいえば、PC-9801シリーズが有していたデファクト・スタンダードとしての地位が失われたことにより、640×400ドットで16色というグラフィック環境に留まる必要性が無くなりました。1996年も後半に入ると、プラットフォームをWin95に移すゲームが増加を始めます。Win95の普及とは、PC-9801という貧弱なアーキテクチャーを使いこなす技術力を有していなくても美少女ゲームの制作が可能な環境が整ったことである、と見ることができます。これに対し『痕』の発売は、DOS環境でプレイされることが所与の前提とされていた最後の時期に当たります。Win95の時代になると「画像は256色、音楽はCD-DA」というように技術レベルの変化を打ち出すことが一時的なトレンドとなります。それに対して『雫』と『痕』には、一種の割り切り――高橋龍也が「色あせた世界」と呼ぶ映像表現があります。ただ、制作者側にそうした企図があったにしても、トレンドが総天然色に向かっていた時に発表されたのであれば地味な作品として埋没してしまったのではないだろうか、とも思えます。
 こうして振り返ってみると、ビジュアルノベルという表現形式の成功は高橋龍也による“時代の読み”が大きく影響しています。そして、ビジュアルノベルというシステムは美少女ゲームの価値観を変容させることになります。従前、美少女ゲームにとって最もプライオリティの高い存在はグラフィックでありました。ところがリーフの提示したビジュアルノベルは、グラフィックの上にレイヤーとしてテキストを表示します。これは、形式面においてはシナリオが優位することを意味します。ゲームシステムとしての《サウンドノベル》は既に『弟切草』(チュンソフト、1992年3月)によって提示されていました。それが美少女ゲームには応用されていなかった理由というのは、グラフィックとテキストの主従関係を崩すことへの拒否感があったものと思われます。高橋龍也が残した歴史的功績の一として、美少女ゲームを構成する要素の力学を変化させてみせたことが挙げられるでしょう。
 “それまで美少女ゲームには無かったもの”という新味は、ゲームの形式面に留まらず内容面についてもみることができます。それはすなわち、物語の舞台としての《日常》を浮かび上がらせたことです。これは第2作目の段階でも垣間見られるものではありました。『痕』は、事故死した父の死の真相をめぐるミステリー要素と、夢と現実が混濁する最中に起こる猟奇的事件とがストーリーの骨格構造を成しています。しかしながら作品の冒頭、まずプレイヤーが作品に引き寄せられるのは、柏木家四姉妹との接触が生み出す生活感でしょう。長女が起こしに来て、次女の作った朝食をいただき、登校する四女と歩きながら語らい、心を閉ざす三女とすれ違う―― キャラクター達の魅力は、物語の本筋からは外れる形で挿入される外伝的位置づけのショートストーリーによっても強化されていきました。
 当時の美少女ゲーム雑誌をめくってみると、発売当時、『雫』も『痕』も雑誌媒体では殆ど話題に取り上げられていなかったことが分かります。しかしながら『痕』は、パソコン通信を通じてクチコミで人気を得ていきました(私の周囲では、まず『痕』が話題となり、そこから遡って前作『雫』についても見出されたという順序で広まっていきました)。そのようにしてリーフというソフトハウスは、短期間の内に動向が注目される存在となりました。しかしここで高橋龍也は、第3作目の制作に当たって「リーフ」を構成するイメージが「毒電波」や「伝奇」といった《非日常》路線で固定することを危惧しました。そこで『To Heart』(1997年5月)は、学園を舞台とした恋愛ストーリーとして制作されることになります。
 青春ものとしては『同級生』シリーズという金字塔がありましたけれども、その基本骨格は事件(イベント)の組み合わせです。それとの比較で言えば『トゥハート』の本領は、幕間(インターミッション)にあります。つまり、彼女達と共に過ごす時間そのものが楽しい、というような空間がゲームの中に出現したのです。これは、美少女ゲームにおけるシナリオの役割を変化させる革新的な出来事でありました。シナリオライターを現出させたのが剣乃ゆきひろであるのに対し、シナリオに今日的役割を付与した立役者こそが高橋龍也(と青村早紀)であるわけです。
 このような遍歴を辿った結果《シナリオライター》という役柄が生まれ、ノベルタイプの美少女ゲームにあっては特に重要な位置づけに置かれることになりました。では、『To Heart』の後、今日までの13年間においてどのような表現が試みられてきたのか。シナリオライター達の業績をご披露いただきましょう。