越沢明 『東京の都市計画』

 越沢明(こしざわ・あきら)『東京の都市計画』(岩波新書ISBN:4004302005)の初版は1991年。執筆当時は長岡造形大学助教授。その後どうされたのか調べてみたら,北大の教授であらせられました(^^;
 先日の出張で移動中に読んだ本で,ボストンバッグの中にしまいこんであった。古地図趣味者にとっては,たまらなく面白い。
 東京にも都市計画はあった。立案はされたが,実現しなかったのだ――というのが骨子。
 前半は,後藤新平(1857-1929)が都市計画に情熱を注いでいたことをつまびらかにする。第一次世界大戦後に都市インフラを整備しようという気運が高まった中で後藤らが研究会を組織し,1918年には内務省に大臣官房都市計画課が設置される。東京市長になった後藤は,1921年には「八億円プラン」を提示したが,政府予算が約15億円だった時代であったから財政問題により頓挫。しかしながら,このシミュレーションがあったために,関東大震災後における帝都復興のビジョンを迅速に提示できたことが記されている。この時に手がけられたのは道路だけではない。小学校と公園を隣接させることで地域コミュニティを形成しようとしたことなどには興味深く接した。
 しかしながら,震災復興の手法は,戦災復興には活かされなかった。復興計画のマスタープランは存在した。押上には緑地を造成,蔵前橋通りを拡幅し,市ヶ谷にはグリーンベルトを備えた環状4号線を通す―― しかし,実現はしなかった。本書では,計画を挫折させた障害として,1947年から59年まで都知事の地位にあった安井誠一郎の名を挙げ「戦災復興事業に対する熱意が欠けていた」と批難する。232頁から安井の回想録が引用されているのですが,そこで安井は〈復興〉を押しとどめ〈復旧〉に精を出したことを自賛している。
 でもねぇ…… 3期に渡って長期政権を敷くほどに民衆からの支持があった政治家の個人の資質の問題に帰着させている結論はどうなのだろう(筆者は名古屋との比較をしているのだが)。関東大震災後に都市計画を一部とはいえ成功させておきながら,その効果を伝えられなかった技術者たちの失態という側面が気にかかります。