大学院はてな :: 就業規則の周知

 退職金等請求控訴事件(東京高裁判決平成19年10月30日判例時報1992号137頁)が大変に興味深い論点を提示しています。
 Y社(従業員規模20人程度)では昭和37年から適格退職年金制度があったのですが,バブル不景気&確定給付企業年金法が施行されたことを受けて新制度(中小企業退職金共済養老保険)を導入することにしました。
 営業課長であったXは,課長以上の者によって構成される経営会議で変更についての説明を受けました。ただし,この場では「少なくとも,新制度において,中途退職した場合には,旧制度に比較して退職者に不利となることは何ら告げられて」おりませんでした。また,全体朝礼において新制度についての話がなされましたが,従業員の側から質問は出ませんでした。約2週間後の全体朝礼でも質問がなかったことから,社長がその場で従業員代表の選出を求め,意見書を作成しています。新制度導入にあたっては中退共の申込書に従業員全員が署名押印をし,平成15年8月に制度移行が完了しました。
 平成15年11月にX(当時53歳)は自己都合退職をしたのですが,旧制度であれば「1074万円」の退職金が支給されたところ,新制度では「288万円」しか支給されなかったため,その差額を請求したというのが本件事案です。第一審(長野地裁松本支部判決平成18年10月20日)は請求を棄却しましたが,控訴審では請求が認められました。その理由としては――

 「全体朝礼を開催するにあたり,Yは全従業員に対し,制度変更の必要性,新制度の概要,従業員にとってのメリット,デメリットなどを記載した説明文書等を一切配布・回覧しておらず,そのことは,その就業規則の変更の手続を取るまでの間も,同じであった。旧制度から新制度への変更は,一般の従業員からすると,その内容を直ちに理解することは困難であり,Yが全従業員に対し,制度変更を周知させる意思があるならば,まずは説明文書を用意した上それを配布するか回覧に供するなどし,更に必要に応じて説明会を開催することが使用者として当然要求されるところであり,それが特に困難であったというような事情はない。ところが,本件において,Yはそのような努力をなんら払っていない。」
 「以上から,[新]就業規則への変更が従業員に対し実質的に周知されたとは認められない。」

 これまで「就業規則の周知」に関しては形式を整えるための作業と思われており注目はされてきませんでした。例えば,懲戒処分を課された時に根拠となる規定が周知されていなかった,というような場面で問題になってはいました。本件の特徴はというと,就業規則が《作成された後》の話ではなく,《変更過程》において従業員に理解してもらう説明をも「周知」の問題に取り込んでいるところです。
 これまで,就業規則は使用者が一方的に作成するものである,という建前で考えられてきましたから《作成後》の周知は「形式」の問題にしていたわけです。就業規則の不利益変更によって生じる「実質」の問題は,必要性や相当性といったところで審査されてきました。

● 労働契約法 第10条
 「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において,変更後の就業規則を労働者に周知させ,かつ,就業規則の変更が,労働者の受ける不利益の程度,労働条件の変更の必要性,変更後の就業規則の内容の相当性,労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは,労働契約の内容である労働条件は,当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。

 高裁の立論に沿うと,相当高度の説明義務が変更手続の段階で使用者の側に生じることになるでしょう。金融商品取引法において要求されるようになった商品販売段階でのリスク説明のように,かなり厳しいものです。この論点,議論を呼ぶことになりそう。