過労死認定裁判の構造

 はてなブックマーク経由で今日のニュースを流し読みしていたところ,過労死関連の記事がありました。

 大阪府内の男性会社員(当時37)の遺族が起こした過労死認定訴訟で、被告の国が生前の男性の業務用パソコンの閲覧履歴を調べ、「出張先でアダルトサイトを見ていた」とする書面とサイトの画像を証拠として大阪地裁に提出した。〔中略〕
 訴状などによると、男性は大手金属メーカー社員だった2004年5月、自宅で急性心筋梗塞(こうそく)で亡くなった。遺族側は、直前6カ月間の時間外労働は月平均89時間余りで、国の過労死認定基準(2カ月以上にわたって月平均80時間以上)を超えていたと指摘。月の半分以上は出張で関西と関東・九州を往復し、過重勤務で過労死したとして、労災と認めなかった労働基準監督署の処分の取り消しを求めて昨年5月に提訴した。
 遺族側の訴えに対し、国側は「出張に伴う移動時間を差し引いた場合、男性の時間外労働は過労死認定基準を下回っていた」と反論。このため、訴訟の最大の争点は、出張の際の移動時間を労働時間ととらえるかどうかに絞られた。
 ところが、国側は、男性が出張先に持参していた会社のパソコンの閲覧履歴を会社側から提出してもらい、亡くなる数日前に九州の宿泊先で閲覧したとするアダルトサイトのわいせつ画像など計約60枚を印刷。昨年11月、「男性は宿泊先でパソコンを仕事以外に使っていた」とする主張を裏付けるための証拠として地裁に提出した。
2010年6月14日付け朝日新聞『「出張先でアダルトサイト」過労死訴訟の証拠に遺族抗議」

 私は判例分析が専門であり,裁判所が結論を出した後に判決文が原文で読めるようになってからでないときちんとした論評はできませんので,内容についての発言は差し控えます。が,ブックマークに書き込まれているコメントのうちにトンチンカンな発言が散見される状況なのは見過ごせません。

 たしかに,これは労働法と行政法が交錯するところなので,状況を把握するには少々法律知識が必要になります。そこで,過労死訴訟がどういった紛争類型になっているのか(どうして今回は国が被告になっているのか?)を簡単に紹介いたします。

行政認定

 ここでは過労死した方をAさんとしておきます。Aさんは死亡しておりますので訴訟を起こすことはできませんから,Aさんの配偶者や子が過労死認定手続を申請することになります。以下,申請者をXと呼ぶことにします(なお,過労のせいで脳・心臓疾患を発症はしたものの幸いに命を取り留めており,原告労働者が生存している場合もあります。この場合には,Aさん=Xとなります)。
 Aさんの発症が労働災害であったか否かを判定するのは,労災保険法を担当する労働基準監督署です。労働基準法施行規則別表第1の2第9号では「その他業務に起因することの明らかな疾病」についても労災として扱うことになっているのですが,昭和62年に労働省が出した通達により,「脳・心臓疾患」も労災として認定されるようになりました。ただ,くも膜下出血心筋梗塞は会社で働いていない人でも発症する病気ですから,過労(より正確には業務に起因する過重負荷)がかかっていた場合に限って労災として扱われることになります。この境界の引き方については厚生労働省が『認定基準』を示しており,概ね次のようになります。

  1. 発症前1か月間におおむね100時間を超える時間外労働が認められる場合,発症前2か月間ないし6か月間にわたって,1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は,業務と発症との関連性は強いと判断される。
  2. 発症前1か月間ないし6か月間にわたって,
    • a 1か月当たりおおむね45時間を超える時間外労働が認められない場合は,業務と発症との関連性が弱く,
    • b 1か月当たりおおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど,業務と発症との関連性が徐々に強まると判断される。

すなわち「2か月以上にわたって残業が80時間を超えていること」が,労基署の窓口での判断基準です。より詳しくは,平成13年2月12日付け基発第1063号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」を参照してください。
 夜遅くまでずっと事業所に居たり,休日出勤をしているなど,外形的にみて在社時間が長い場合において認定は難しくありません。問題になりやすいのは,持ち帰り残業をしていたため,使用者による時間管理が及ばないけれども実際には仕事をしていた時間帯が多く含まれている事案です。
 それから,看護士のように夜勤が入ったり,出張のため飛び回ったりして勤務が不規則になるために,タイムカードに記録されている残業は多くないけれどキツい仕事というのも裁判にまで発展するケースが多いようです。今回報道されたのは,このパターンのようですね。
 制度上,不規則労働である場合には過重要素として勘案し,総合的に判断することにより労災として認定できることになっていますが,労基署の窓口としては前述の《80時間》を下回ると「労災では無い」と判断する例が多いようです。行政の裁量を大きくしてしまうと担当者によって判断が大きく変わってしまうという困ったことも起こりますので,労働時間の長さが主たる判断要素になるのは(ある程度)致し方ないところではあります。ですが,現在の運用は労働保険審査会による行政不服審査が上手く機能しておらず,柔軟さに欠けるとの批判は避けがたいところでしょう。

取消訴訟

 さて,労基署の判断に不満がある場合,認定を請求したXは裁判で争うことになります。ここでようやく本題。過労死認定をめぐる訴訟は,行政の判断が誤っていたか否かを争うことになりますので行政事件訴訟(の中の取消訴訟)という類型になります。実際に判断をしていたのは労働基準監督署(=行政庁)なのですが,平成16年の法改正により行政事件訴訟の被告は(=行政主体,以下Y)に改められました。なお,行政事件訴訟には民事訴訟のルールが準用されます。刑事裁判ではありませんから,国(Y)が被告になっていても検察庁が登場してくるわけではありません。国の代表として法務大臣が関与するということになります。
 この際,会社(使用者)は第三者(以下,Z)という立場に置かれます。ただ,労務管理を実際に取り仕切っていたのは会社ですし,勤怠に関する情報も会社が持っています。そこで会社(Z)が情報提供するわけですが,この場合,Xの側に立つ場合もあれば,Yの側に立つ場合もあります。なお,労災の認定が出たとしても会社側が直接に金銭を負担するわけではありませんから,遺族への支援が行われるよう積極的にXの支援をすることも多いようです。

民事訴訟

 ここまで述べてきたのは,労災保険を受給したいという場合です。これに対し,遺族が会社を相手取って民事訴訟を起こし,損害賠償請求を求めるという争い方もあります。この場合,被告(Y)は会社になります。
 こちらの戦術を採るメリットは,過労死の原因を作出した直接の当事者である会社を敵として争うことができることです。先述の取消訴訟だと国が被告になってしまうので,遺族からしてみれば本当に恨みをぶつけたい相手が法廷には居ないという状態になってしまいますので。
変貌する労働時間法理―“働くこと”を考える
 あと,民事訴訟であれば過失相殺を使って割合的な責任分担をすることも可能です。労災保険の支給は《出す》か《出さない》かのデジタルな判断しかできない制度になっています。これに対して民事訴訟では,被災労働者の側にも落ち度はあったから3〜4割くらい減らされるのは仕方ないけれど,でも責任の6〜7割は会社の側にあるはず! という主張もできます。
 より詳しくは,『変貌する労働時間法理 《働くこと》考える』の第8章に書いてありますので,買ってくださいね。


● 追補
 続報が流れておりました。

 被告の国側は15日、画像を撤回する方針を明らかにした。国側は「男性が出張の宿泊先で業務用パソコンを使ってサイトを見ていた」と主張していた。国側の訴訟窓口となっている大阪法務局の担当者は朝日新聞の取材に「遺族の心情と(撤回を求めた)裁判所の意向を考慮した」と文書で回答した。
http://www.asahi.com/national/update/0615/OSK201006150242.html