研究論文 「アニメ《舞台探訪》成立史――いわゆる《聖地巡礼》の起源について」 を発表しました
このたび刊行された釧路高専紀要の第45号におきまして「アニメ《舞台探訪》成立史: いわゆる《聖地巡礼》の起源について」と題する研究論文を公刊いたしました。
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釧路高専トップ > 図書館 > 研究紀要 > 第45号 > 拙稿(41〜50頁)
- はじめに
- I 前史 〔1980年代まで〕
- アニメ = 非現実
- 初の海外ロケハン: アルプスの少女ハイジ
- 普通の女の子: クリィミーマミ (cf.: 大橋崇行 「魔法少女の夢」)
- II 日常性の芽吹き 〔1990年前後〕
- 視聴年齢層の上昇
- 舞台探訪の源流: 天地無用!魎皇鬼
- 虚構と現実の交錯: 美少女戦士セーラームーン
- III 日常性の発現 〔1990年代〕
- IV 舞台探訪の成立 〔2002年前後〕
- 様式の確立: おねがい☆ティーチャー
- 特質1)緻密な空間構成
- 特質2)ニュースサイトの影響力
- 2003年3月19日付け 『DAIさん帝国』 「おねてぃの舞台探訪 〜加速してこの目で確かめてきた編〜」
- 2001年から2004年にかけての 『カトゆー家断絶』 関連配信記事一覧
- おわりに
以下,解題。
今を去ること2年前,2009年9月24日に『ちっちゃな雪使いシュガー』の舞台とされるローテンブルク(ドイツ)を訪ねる途上,車窓を眺めていたところに啓示が降りてきました。ながらアニメにおいて背景が果たしている役割は何か? 持っていた紙片に言葉を書き留め,ホテルに戻ってキーボードを叩き,帰国してからも書き続け,同年12月までの3か月で約4万字の論文を用意しました。
困ったことになったのは,その後のこと。論文は書き上がったものの掲載してもらえる媒体が見つからない――ということになってしまったのです。このテーマの先行研究は〈観光学〉もしくは〈社会学〉の領域で発表されているのに対し,私の出自は〈法律学〉と〈地域研究〉なもので,投稿を希望しても受けいれてもらえないという事態に……。発表媒体を探すのに1年ほどを費やしていたところで釧路高専への赴任が決まり,ようやく発表の運びとなったものです。
ただ,このたび発表したのは元々の原稿のうち一部を切り出して加筆したものでして,全体の中では前置きに当たる部分です(それだけで約1万8千字,A4換算10頁になってしまいましたけれど)。
今回の発表部分にも少しだけ述べておりますが,私が投げかけたいのは「舞台探訪のことを聖地巡礼って言うな!」ということです。これまでにも「アニメ聖地巡礼」についての先行研究は幾つか出されていますが,私が思うに,用語の定義がきちんとなされていないために数多くの論者が根本的なところで過誤に至っているように見受けられます。すなわち,《聖地》とか《巡礼》といった言葉につられて過度に「おたく」の特性を導いてしまっているのではないか,と。アニメを見て背景に描かれた場所へ行くことと,映画のロケ地を見に行くこと――両者を区別することに,どのような哲学的意味がありますか?
同じような旅行行動であっても,その契機が〈実写映画〉であるか〈アニメ〉であるかでは,まったく別なものとして受け止められているのが実状である。認識の差を如実に表しているのが,その呼び名であろう。実写作品であれば《ロケ地訪問》等の用語で捉えられるのに対し,アニメ等由来の場合には《聖地巡礼》との用語を被せられ,類似の観光行動であっても異なる態様の行為として識別されている。とはいえ,この《聖地巡礼》という呼び名が議論に混乱をもたらす遠因となっているのではないかというのが筆者の見解である。
本稿は,アニメ・コンテンツにまつわる《舞台探訪》ないし《聖地巡礼》について歴史的な流れを追うことにより,その成立過程を明らかにし,もって適切な議論のための基盤を提供しようと目するものである。
はじめに
加えて先行研究に欠けているのは,ジャンルを横断する視点と,歴史を縦糸として紡ぐ視座ではないかと考えています。
これまでに発表された《聖地巡礼》にまつわる研究は〈観光創造〉からのアプローチが多く含まれているのですが,萌える町おこしの話であれば『らき☆すた』から話が始まるのも構わないでしょう。ただ,『らき☆すた』だけを対象として考察を進めると,固有の事象と共通する現象との区別がつかなくなってしまいます。複数の作品を比較分析することによって共通項を見出そうとするとき,その際の1つの基軸になるのは『おねがい☆ティーチャー』であろう,というのが私の理解です。
今日においてアニメの《舞台探訪》として認識される観光行動には,3つのメルクマールがあった。まず第1が,アニメが現実に存在する場所との結びつきを持つようになった『天地無用!』ないし『セーラームーン』である。次いで第2が,虚構性に立脚する表現手段とみなされていたアニメが,実写映画と同程度にまでリアリティを獲得するに至った『耳をすませば』である。そして第3が,それまでは個別的な旅行行動の一種であった舞台探訪が,インターネットとデジタルデバイスいう情報ツールをまとうことにより社会化し,一種の二次創作活動にまで進展することになる『おねてぃ』である。
おわりに