maid (2)

 昨晩、夕食の準備中に不備に気がついたので追補。スパゲティー(≠ミートせんべい)を調理していたのが、深層心理に作用したらしい。

 「メイド」と「メイドさん」の相違に関して、一例を挙げて考察してみよう。LeafTo Heart”に登場するHMX-12マルチである。彼女は『メイドロボ』であり、「メイド」としての機能がを有している。「わたしにご奉仕させてください」*1という発言などは、まさにメイドものの定石である。しかしながら、マルチを指して「メイドさん」と呼ぶ例が少ないことは指摘しておくべきである。というのも、幾つかの点に於いて「メイドさん」に必要な要素を欠いているからである。
 まず(1)服装である。彼女が着用しているのはエプロンドレスではなく、通常の制服。終幕(随所でメイドロボが活躍していることを説明する場面)ではエプロンを着用しているものの(v65.lf2)、ヴィクトリア様式のものではない。つまり、歴史的・装飾的に「メイドの時代」を参照していないのである。
 続いて(2)社会的関係。主人公(場合によってはプレイヤー)との関わり方である。作中、マルチが主人公を「ご主人様」と呼ぶのは最終夜に入り、主人公宅で恩返しをしている時(および購入後)のこと。それ以前の学校を舞台とした場面では、「〔任意〕さん」と呼んでいる。物語の冒頭から従属する立場であったわけではなく、転換点ではマルチの自発的意志が介在している。つまり、使用者に対する被用者という「メイドの社会的地位」を踏襲していない *2
 これを『殻の中の小鳥』『雛鳥の囀』についてみるに、キャラクター達は様々な事情を抱えているが故にメイドとなることを選択しており、そこには意志が介在している(ここでは、その是非についてまで立ち入ることはしない)。むしろ、本来の「メイド」像に近い。萌え要素たる「メイドさん」を考察するうえでは、シナリオ性との関わりで幾つかの階層に区分することが必要だろう。何故ならば背後にあるシナリオの強弱は、物語冒頭からメイドさんとして登場する『月姫』の翡翠メイド喫茶で働く店員、衣服だけを記号としてメイドさんから借用したデ・ジ・キャラットとで、それぞれ異なるからである。
 さて、マルチの考察に戻る。先に示した2点は、作者(高橋龍也氏)が「メイドさん」に含まれてしかるべきキャラ萌え要素を意図的に排除したうえで、元来の「メイド」が持つ機能のみを抽出し、それを現代的(未来的)にロボットへ与えてみたことを示している。すなわちマルチとは、「メイドさん」をパロディ化することで登場した存在なのである *3。そのため、マルチを指して「メイドさん」と呼べば違和感を生ずる。
 さらに、“To Heart”の物語世界において、もし人間であるキャラクターが「ご主人様」なり「ご奉仕」などの用語を口にすれば、はなはだ奇異なものとして写るだろう *4。構築された世界が、それを許さないのである。では、知性を持つに至ったロボットに隷属を求めることが許されるのか――というのは大変に興味深い話題であるが、これはマルチシナリオが提起した深遠な問題であって、筆者は未だ解答を出すに至っていない。

*1:マルチEdの最終分岐後、内部番号0620。

*2:作中、量産化されたメイドロボの価格は「自動車2台分ぐらいの価格」となっている。市販化されたマルチは低価格が人気を呼んだとあるので、さらに経済的負担が小さい。即ち、購入する側についても社会的地位を必要としていない。これが人間1人を住み込みで雇うとなると、専用の居室を用意したうえで賃金を支払わなくてはならず、自動車2〜4台分くらいの資金が年ごとに必要となる。

*3:http://www.tinami.com/x/interview/04/ の第11節を参照

*4:セバスチャンは別にしていただきたい。