スペイン語版 『あずまんが大王』

〜 日本文化の国外における受容と変容に関する一考察 〜
 買ってきたあずまきよひこあずまんが大王』の西語版を読んでみたのですが、感心することしきり。困難な翻訳作業を、見事にこなしています。
 まず簡単なところでは、忠吉さんが「セニョール・タダキチ」に、ポスペiMacにひっかけた「iマスコット」になっています。ゆかり先生がサッカーに興じている場面で「あたし中田」と言うのが「あたしベッカム」になるのは、リーガ・エスパニョーラでも馴染みのある有名選手への置き換えということで妥当なところでしょうか。

 他にも色々と工夫された訳になっています。訳者の努力を讃えるため、ここで比較対称しながら紹介してみようと考えました。日本語版については、よつばスタジオのウェブサイトで試供版が公開されております。 西語版は、私の方で比較用図版を用意しました*1。見比べてみてください。



▼ 丁

春日歩「なー パンツ一丁の『丁』ってなに?」
春日歩「一『枚』とちゃうの?
水原暦「突然だな おまえ。なんだ パンツって……」
千尋「拳銃とか一丁って言うよね。たしか」
春日歩「拳銃…… パンツ……」
春日歩「武器と関係が?
水原暦「もういい だまってろ」

 さて、これは注釈を付けたとしても翻訳は不可能でしょう。丁ないし枚といった接尾語は、ヨーロッパ系言語には存在しませんから。そこで西語版では、かなり思い切った訳を試みています。
http://sowhat.magical.gr.jp/spain/manga/ad_bragas.jpg(西)

Osaka: Una cosa. Por que las BRAGAS son en plular?
(なぁ、どうしてパンティは1枚でも複数形なん?)
Osaka: Es una sola pieza, no?
(布切れ1枚だけやんか?)
Koyomi: Y eso a que viene? Sera porque metes las dos piernas.
(どうしてそんなことを…… そりゃぁ、脚は2本あるからだろう。)
Chihiro: Porque claro, una RECORTADA por ejempro, tiene dos canones y es singlar. Fijate.
(そういえば、ライフル銃なんかは2丁あっても単数形だよね、たしか。)
Osaka: Una RECORTADA... Unas BRAGAS...
(ライフル…… パンティ……)
Osaka: Tienen alogo que ver las armas y las bragas?
(武器とパンツに何か関連が?)
Koyomi: Uff, yo paso.
(うっ。あたしパス。)

 なんと、拳銃とパンツというモチーフはそのままに保ちながら、「複数あっても単数形」と「ひとつだけでも複数形」というスペイン語文法に即した話題に変更しているのです。お見事。



▼ ひっぱって大阪

周囲 「オーエス!」
春日歩 「オーエスってなんやろう?」
周囲 「オーエス!」
春日歩 「オーエス オーエス
春日歩 「オーエスってなんやー!?」
滝野智 「うるせぇ ひっぱれ!!」

 つなひきのかけ声ですが、これも「オーエス」をそのまま訳したのでは通じません。で、西語版ではどうしたかというと、逆に日本語に戻せなくなっています(汗)
 先に文法解説しますね。扉に英語で“Pull”と書いてあったら「引く」ですが、スペイン語だと動詞の原形(不定詞)“Tirar”になります。それがラテン系言語には、命令形「引け」というのもありまして、2人称複数(vosotros)に対しては“tirad”という活用をします――というのを踏まえたうえで、西語版をご覧ください。
http://sowhat.magical.gr.jp/spain/manga/ad_tirar.jpg(西)

gente: Tirar!! (不定詞)
Osaka: No es "TIRAD"? (命令形じゃないん?)
gente: Tirar!! (不定詞)
Osaka: Tiiirar... (不定詞)
Osaka: Oye, no es "tirad"? (ねぇ、命令形の方がいいんとちゃう?)
Tomo: Calla y estira! (黙って引っ張れ!)

 つまりですね、大阪は不定詞“tirar”ではなく命令形“tirad”を使うべきなのではないかと主張しているわけですが…… こんな場面で命令形を用いるのは文法的に間違いではないけれども、実際に使われることは滅多にないので、国は変われど大阪さんはボケたことを言っているのです。



▼ 逃げろ

滝野智 「なにたのんだー? 私カツ丼ー」
水原暦 「あー 私は――」
滝野智 「あ!! カレーうどんだ!!」

 日本にしかない食品の場合です。まずカレーですが、これはスペインでも見かけます。といっても日本的なカレーライスとしてではなくて、調味料のひとつとして。カレーの風味がどのようなものかは知られています。カツレツは、牛肉を使ったものでしたらスペインでも馴染みのある料理です*2。お米は、パエージャがあるくらいですから、ふんだんに入手可。となると、問題はうどん。ではどう処理したか。
http://sowhat.magical.gr.jp/spain/manga/ad_curry.jpg(西)

Tomo: Que habeis pedido? Yo ESCALOPE CON ARROZ.
(何を注文した? あたしは牛カツレツとご飯の盛り合わせ〜)
Koyomi: Ah, pues yo...
(あ〜 私は……)
Tomo: No!! Son FIDEOS AL CURRY!!
(あ!! 細切りパスタのカレー風味だ!!)
Tomo: Todos a cubierto! Ese caldo mancha mucho!
(みんな隠れて! この煮汁は染みになるのよ!)

 こうなりました。本書の末尾に、4頁にわたる訳者あとがきが掲載されているのですが、それによると最初はカレーラーメン(Curry Ramen)にしようかと考えていたそうです。でも、それだと今度はラーメンの解説が必要になりますからね。スペイン語でラーメンは“Fideos chinos en sopa”なので、そのままでは通じませんし。フキダシの枠内に収めるという制約により単語数を減らさなければならないという条件下で考えると、“Fideos al curry”というのは良くできた訳です。



▼ 喫茶店

生徒A 「おばけ屋敷」
生徒B 「喫茶店

http://sowhat.magical.gr.jp/spain/manga/ad_jockey.jpg(西)

alumno A: El tunel del terror.
(恐怖のトンネル)
alumno B: Cafeteria con DISC JOCKEY.
(ディスク・ジョッキー付きのカフェテリア)
alumno C: Eso lo hacen siempre.
(その辺が定番じゃない?)
Chiyo: Si, supongo...
(はぁー そうなんですか?)
Tomo: JOCKEY...(ジョッ)
Tomo: JOCKEY...(ジョッ)
Chiyo: Se os ocurre algo mas?
(えーと他に……)
Tomo: JOCKEY...(ジョッ)
Chiyo: Asi.(こうです)

 漢字を用いた話題の場合。日本語版では単に「喫茶店」であった場所が、変更になっています。この場面では滝野智が「喫」の字を書けずにいるというのが面白みになっていますから、スペイン語に置き換えることはできません。そこで、わざわざ外来語である“JOCKEY”を付け加え、Tomoは英語のつづりがわからないのだとしています。



▼ 不安

ト書き 豪邸
滝野智 「……メロンとか持ってきた方がよかったかな?」」
水原暦 「ふ 普通でいいと思うぞ」

http://sowhat.magical.gr.jp/spain/manga/ad_bonbon.jpg(西)

acotacion: Mansion
Tomo: Deberiamos haber traido bombones o alogo, no?
(……チョコレート・ボンボンとか持ってこなきゃいけなかったかな?)
Koyomi: Actuemos con naturalidad.
(し、自然に振る舞っていればいいだろう)

 メロンがボンボンに変更されています。メロンはスペインでも見かけるものですから、これは内容的な理由から差し替えたとみるべきでしょう。この例の場合、何故もともとメロンが登場していたかを考えなくてはなりません。言うまでもなくメロンは高級贈答品の代表です。ただしそれは内地での話*3。札幌には遠方に出荷できない規格外のメロンが出まわるので、安い果物だったりします。同じようなことが農業国スペインにもあって、スイカとメロンにさほど値段の差がないのです。そんなわけで、手みやげにメロンというのは相応しくない。そこで、ボンボンに書き換えたのでしょう。



▼ 楽しい職業

滝野智 「先生はどーして先生になったんですか?」
木村先生 「女子高生とか好きだから」

http://sowhat.magical.gr.jp/spain/manga/ad_quinceaneras.jpg(西)

Profesor Sr.Kimura: Porque me gusta estar rodeado quincean~eras!!
(何故なら15歳ぐらいの女の子が好きだから!!)

――わざわざ年齢指定しています(^^;) スペイン語にも「高校」に相当する単語“bachillerato superior”はあるのですが、制度が違うために大学予科の19歳あたりまで含んでしまうんですよね。欧米のハイティーンは胸郭部の発育が大変に優れていらっしゃるので、木村先生の射程範囲外でしょう。そこで「女子高生」が有する言外の意味を込めるために、15歳にしたものと思われます。



▼ 大阪人や

春日歩 「春日歩といいます。よろしくおねがい――」
ゆかり 「だめだめ」
ゆかり 「そんな気をつかって普通の言葉でしゃべらなくていいから! よろしゅーたのみまんがなーでいいよ」
春日歩 「そ、そんなの大阪でも……」
ゆかり 「はい!」
春日歩 「……よ、よろしゅーたのみまんがなー」

 最大の難関。関西弁*4 の登場する箇所です。難しいんですよね、方言の再現は。Amazon.comから米国版『カードキャプターさくら』を取り寄せてみたことがあるのですが、ケロちゃん(封印の獣ケルベロス)が大阪弁だということを特に考慮してはいませんでした。そそういえばUS版『CCさくら』では、最初の台詞「こにゃにゃちは〜」が「ヘイヘイホー!」になっていて、のけぞりました。

 閑話休題方言については訳者も非常に苦労されたようで、あとがきに試行錯誤のあとが載っています。スペインも南部に行くと方言がありますから、アンダルシア弁をしゃべらせようともしてみたとか(^^;) で、結局どうしたかというと、スペインでもあまり使われない、もってまわった言い回しを使うことで、独特な言葉を話す人物という描き方をしています。これまた日本語に復元しにくいんですが、こんな感じです。
http://sowhat.magical.gr.jp/spain/manga/ad_osaka.jpg(西)

Osaka: Hola, soy Ayumu Kasuga. Encantada.
(こんにちは。アユム・カスガです。よろしく。)
Yukari: No, no, no!
(だめダメだめ)
Yukari: No te cortes, puedes decir eso que decis en Osaka... Lo de "A las muy buenas, nenas"
(そんな緊張しなくてもいいから。いつもみたく『ごきげんよう、学友の皆様方』でいいよ)
Ayumu: Pero si nadie dice eso en Osaka...
(でも、そんなの大阪でも言わない……)
Yukari: Venga.
(はい!)
Ayumu: A las muy buenas, nenas.
(ご、ごきげんよう、学友の皆様方)

 なんかこれだと大阪ではなくリリアン女学園からの転入生になっちゃうんですが、一般的ではない言葉遣いということで意訳してみました。



 以上、数箇所を取り上げて解説を試みましたが、驚くほどに良く出来ています。日本での入手は難しいでしょうが、書誌情報を書き添えておきますので、興味を持たれたら探してみてください。



cf. id:gentoo:20040118#p4 / id:gentoo:20040614#p3 / id:gentoo:20040616#p4(英語版での比較対象、ISBN:1413900003

*1:日本の著作権法32条に則った引用にとどめています。

*2:拙稿「マジョルカ島旅行記」の中に登場する「エスカロペ」のこと。

*3:内地とは、本州以南を指す北海道方言。

*4:恩師、山下好孝助教授の『関西弁講義』(ISBN:4062582929)買ってあげてください〜