相田裕 『GUNSLINGER GIRL』〔6〕

 相田裕(あいだ・ゆう)『GUNSLINGER GIRL』〔6〕(ISBN:4840232903)を読んだ。この物語の主題について,いまいちど考えを巡らせてみる。「紙屋研究所」の評するところでは

相田は、この世界を、少女にとっての〈救済〉として描く
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/GUNSLINGER.html

としているが,この閉塞感ある時代における〈救済〉が主題になっているであろうことに異論はない。ただ私は,この物語の主体は〈救済されえない男たち〉の方ではないかと思っているのだ。
    *  *  *
 予め誤解を除いておこう。作中では「義体=少女」であり「担当官=男たち」という描かれ方をしているから先のように述べているだけであって,べつに生物学的な性差を論じたいわけではない。先の問いを一歩進めた形で提示したのが id:zozo_mix さんの手になる次の論考である。

では、支配者と被支配者は、どちらが幸福といえるのだろう
ゾゾコラム - 「白痴でいること」は不幸なのか、それとも幸福なのか

このような問いへと収斂させているのだが,それに〈少女〉の側からの考察を試みている。そこでは〈義体〉たる少女が,「男性の欲望をストレートにぶつけられ,かつ,それを受けとめきる「都合のいい」存在として描かれる」ことに嫌悪の情を表している。
 少女たちに対して,邪な眼差しを浴びせかける視線の存在を否定はしない。だが,それは,表象に目をくらまされミスリードされた読者の視線ではないだろうか*1
 作中の〈男たち〉に目を転じてみよう。ジョゼ,ジャン,ヒルシャー,マルコー,それにラバロ。私には,彼らが決して幸福であるとは思えないのだ。むしろ,自分が少女たちに〈小さな幸せ〉をもたらすことしかできない非力な偽善者であることに押しつぶされようとしている。
 思い返して欲しい。少女たちは,ある一つの場合を除いて絶望することを奪われている。その「例外」が悲劇を導くものであることを明示的に描いたのが,第4〜5話『エルザ・デ・シーカの死』ではないのか*2。そこでは,被支配者である義体が支配者である担当官を支配している。
 「私を愛してください」
 「私に幸せをください」
 「私を覚えていてください」
 こうした少女たちの声にさらされ,少女たちの願いを叶えられないことに絶望しているのは,支配する者と位置づけられているはずの〈男たち〉の方ではないのか。
 支配する者,支配される者。いずれが幸福であるのか。比較考量としての問いに『GUNSLINGER GIRL』に則って答えるならば,私は迷わず後者とする*3
    *  *  *
 しかし,それが甘えであることを自覚するだけの余地がある。これは人間社会に於いて[支配‐被支配]という関係が理念上は存在しない現在の価値観を前提としているからこそ言える依存願望に過ぎない。わずか250年ほど前までヒトにも区別があり黒人奴隷という制度が存在していたわけであるし,日本にしても戸主という支配関係が廃止されたのは1947年のことである。決して,歴史的に普遍であったわけではない。昨今の「メイドさん」なり「メイド喫茶」にしろ,19世紀末の英国にあっては厳然として存在した社会階級(経済格差)が縮小した現在に当てはめるからこそ,エンターテインメントとして楽しめるのだ。

 ここで少女をロボットや動物や、人間以外にするとそんなに違和感のない、泣かせが売り物の感動ドラマになる。それを人間でやると、ぞっとするような背徳になる。
http://d.hatena.ne.jp/herecy8/20051114#p1

 この一文は,重要な指摘を含んでいる。これまでに築かれてきた価値観では,[支配‐被支配]という関係が背徳となるのは,過去の歴史的経緯によって同質性が獲得された人間同士に限られるという前提の存在である。これに関連したところでは,大塚英志*4伊藤剛*5の論考がある。
 しかし,手塚治虫のもたらしたリアリティが普遍化する次の時代(next-generation)が到来したならばどうだろう。ササキバラ・ゴウが提示した〈傷つける性〉という問題提起(id:genesis:20050728:p1)を受けてからというもの,私は『GUNSLINGER GIRL』を未来のための思考実験として受容している。『ガンスリンガー・ガール』において〈義体〉が「機械の体を与えられ薬によって洗脳された」少女であるのは,その方がより強いリアリティを持つからということに他ならないだろう。だが,〈支配される者〉であることを宿命づけられたメイドロボットの登場は,実現可能性の高いものとして間近にある。その時,小柄で愛嬌のある HMX-12 と事務処理能力の優れた HMX-13 のどちらを選ぶか*6,嬉々としているであろう人々の存在も。
 その次の時代(post-next-generation),果たしてこの社会の価値観はどうなっているだろう。我々の倫理は大きく揺らいでいるだろうけれども,ヒトがロボットを支配し続けているのだろうか――。私の関心事はそこにある。
 この〈救い〉のない物語の行く末に,我々の社会の少し先を仮託しているといったら,どれだけの人が笑うだろう。
 Kyrie eleison.


▼ おとなりレビュー
 逐次ブックマークに追加しているので,そちらを参照されたい。
http://b.hatena.ne.jp/genesis/GSG/

*1:余談であるが,私は,本作が〈萌え〉の視線で語られていることを知って驚いたものである。作中で少女たちに萌えているのは直接の当事者ではない支援要員のプリシッラであり,支配することに安穏としているのは技術者のジリアーニである。テクストの読み取りからは現れてこない視線だろう。

*2:第1巻(ISBN:4840222371)109頁以下。

*3:参考になると思われるのが,次のウェブ小説である。いずれも貞操を扱った作品であり,管理されることによってもたらされる悦楽を描写している。一種のマゾヒズムを取り上げたポルノ文学として興味深いものであると思料する。
http://sarashin.com/ 更科氏作「アイツ」「スイッチ」
http://www.aitu.gasuki.com/ayaka/ 作者不詳「日常の中の檻」

*4:アトムの命題』(ISBN:4198616744)第5章。ここでは,手塚治虫『幽霊男』に登場する人造人間を引いて,〈傷つく心〉と〈傷つかない身体〉の発見を論じている。

*5:テヅカ・イズ・デッド』(ISBN:4757141297)第3章4節。手塚治虫地底国の怪人』に登場する耳男(知能強化されたウサギ)を引いて,亜人間の〈死〉の描かれ方を論じている。

*6:ここは,お好みによって「ちぃ」対「柚姫」などに置き換えていただいて結構。