美少女ゲーム年代記: 1996-2000「幼なじみとメイドロボの時代」
/* プロットの初出は http://d.hatena.ne.jp/./genesis/20060406/p1 */
この章では『To Heart』と『White Album』の間接的影響下にあるものを論じる。
- 学園を舞台とする濃密な日常描写,分岐シナリオと多重恋愛,優柔不断な主人公,内省的,傷つける性。
- 『ONE~輝く季節へ~』(1998年,Tactics),『Kanon』(1999年,VisualArt’s/Key,ASIN:B00008HZS7)
- 拙稿「暮れゆく『雫』の時代」(id:genesis:20050808:p1)を参照のこと。
- http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/ (b:id:then-d)
(※以下,未整理)
『ONE』
〈葉鍵系〉の系譜
■ 馬と『ONE~輝く季節へ~』
本作のシナリオ前半は,ありふれた日常を居心地良くかけがえのないものとして描写することに徹している。学園生活を通じてヒロインたちと出会い,《会話とエピソードの積み重ね》という第二階層を経て、二人は恋に落ちる。まさに『To Heart』的な“ハートフル学園恋愛ストーリー”のフォーマットそのものである。
http://d.hatena.ne.jp/./milkyhorse/20060827/p1#c2-1-5
『TH』フォーマットの受容と変容
■ 馬と『ONE~輝く季節へ~』
ところが,本作の場合,《会話とエピソードの積み重ね》と《叙述の視点とキャラ萌え》のあり方は,『To Heart』とは解釈が異なっている。
“会話とエピソードの積み重ね”という第二階層について,『To Heart』は日常のささやかな会話や出来事を細かく丁寧に描き,主人公とヒロインが少しずつ共感していく様子を写実的に表していた。これに対し,本作では,日常会話をメインにシナリオを書かなければならないという『To Heart』的フォーマットの制約を逆手に取って,主人公とヒロインたちは延々と甘ったるいギャグと漫才を応酬し合い,ささやかだったはずの日常はどんどんコミカルになっていく。
http://d.hatena.ne.jp/./milkyhorse/20060827/p1#c2-1-5
■ 馬と『ONE~輝く季節へ~』
本作を『To Heart』的なフォーマットから脱却せしめたものは,いったい何だったのか。それは,シナリオ構造において(中略)《ヒロインと主人公の物語》という第三階層を極めて効果的に導入したことに他ならない。
http://d.hatena.ne.jp/./milkyhorse/20060827/p1#c2-1-6
『Kanon』
■ ヒロインと物語
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/hika/essay/works/lvns_ch.htm
■ 更科修一郎「Kanon~残された者のために祈りを」
『Kanon』の場合は、[奇蹟]を、物語世界の根幹に据えてしまった。作り手が日常から逸脱してしまうことを覚悟していたかどうかは分からない。しかし、『Kanon』は表層的な設定よりも、ドラマトゥルギー的な主義主張が先に立っている作品で、キャラクターの記号性で、その綻びを強引に追補していた。それでも、原初的な物語要素……スピリチュアルな展開、に対する思い入れが強すぎて、全体のバランスが崩れることは食い止められなかった。
これではどう見ても、物語として完結させるのは困難で、ああ、このまま破綻したまま終わるのかな……と思いきや、[奇蹟]によって力づくで完結させてしまったのだ。これはとても希有なことだと思う。
http://www.cuteplus.flop.jp/ncp/cpg08.html (N.C.P. #8)
『A I R』という行き止まり
■ 更科修一郎「システム化された幻想に対する違和感と、誰かを思い出せない理由。」
『AIR』に至っては、女の子を抑圧から解放するプレイヤーが、一転して抑圧する側に回りかねないという矛盾を解消するために、プレイヤーの存在そのものを消してしまうところまで行き着いてしまった。ここでは、達成願望そのものが極めてミニマムな方向へと進化を遂げてしまっている。既に現実の少女に勝利することすら望んでいないどころか、ユーザーの理想である「永遠の少女」に自ら敗北することで、その内面に永劫回帰することを望んでいるようにも見える。
http://www.cuteplus.flop.jp/ncp/cpg16.html#004
関連資料
■ 「傷付ける性」としての男性、そして少女化