nueva companera

 新しい同居人が来ました。どうも3日前から住んでいたようなのですが…… ようやく今日になって挨拶に出てきました。めいめいの生活時間帯も勤務場所も違うため、数日誰にも会わないというのは珍しくないのです。しかし、家中の明かりがつけっぱなしになっていたりして、すでに大変な迷惑を被ってます(``;

pan tostado

 先日、バレンシア在住の人と会話していたところ、私の言葉遣いで意味の通じないところがあると言われました。
 「かくしょく、って何?」
 角食と言えば、小麦にイーストを混ぜて焼き上げ、薄く正方形に切り取ったもののことに決まっているじゃないですか、と説明したら
 「それは、食パンでしょ?」
と反論された。うわ、「角食」って北海道特有の語句なん?(^^;
 北海道方言は、関西や博多のそれと異なり、際立った特徴が少ない。それだけに、話者当人は標準日本語だと思っているようなものが多いのです。3年前、オーストリア人に「あなたのアクセント、ちょっとおかしいです」と指摘された時にはどうしようかと思った。椅子のことを北海道では「い\す」と、イを強く発音するのですよ。
http://www.sh.rim.or.jp/~akarin/dialect/ (北海道方言辞書)
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/4090/rex2000_032.htm

菜の花の沖 (3)

 司馬遼太郎菜の花の沖』第3巻(ISBN:4167105543)、読了。
 高田屋嘉兵衛は、最大級の輸送船「辰悦丸」を建造し、蝦夷地(北海道)へと上陸する。そこで目にしたものは、松前藩の目に余る振る舞いであった。アイヌ民族は虐げられ、搾取の対象となり、人としての扱いを受けていなかった。その頃、ヲロシャの赤蝦夷(ロシア人)が勢力圏を拡大しつつあることが有識者によって認識されるに至る。1799年、江戸幕府は北方警備とアイヌ民族の保護を目的として、東蝦夷*1 の直営に乗り出す。
【書評】
 話が北海道に及ぶと、あまり面白くない。興味を掻き立てられないというべきか。だって、小学校の社会科で学んだ郷土史が脳裏をよぎるんだもん(^^; 出身地の話だと、どんなに素晴らしい描写をされても、実物を容易に思い浮かべられるために「そうかな?」と思ってしまう。例えば、次の一節

――なぜ、蝦夷地が好きなのだろう。
と、嘉兵衛は自問したことがある。がすぐにその自問の愚かさに気づいた。憧れには、理由づけられる根や葉がなく、なければこそ、この奇妙な精神現象があるのではないか。
(強いていえば)
と嘉兵衛は考えたことがある。
極北だからではないか。(343頁)

 言わんとするところ、分からないでもありません。NOCCHI大槍葦人)さんが作画を手がけた作品に『北へ。』という北海道もの(?)があります。決して、南へ行こうとはしないのです。まぁ、人類がアフリカの大地溝帯で発生して地球全域に生息域を広げていったということからすると、北へ向かうのは性(さが)なのかもしれませんけれど。だったら、スペインというはるか西の果てへと来てしまった私は?(^^;
 興味をそそられるのは、作中でたびたび登場する工藤平助『赤蝦夷風説考』(163-170頁)。この書が時の老中・田沼意次を動かしたのだという。当時、ロシアという存在が、どの程度認識されていたのかを読みとることが出来て面白い。

*1:太平洋側の意。箱館(函館)から厚岸あたりまで。

maid (2)

 昨晩、夕食の準備中に不備に気がついたので追補。スパゲティー(≠ミートせんべい)を調理していたのが、深層心理に作用したらしい。

 「メイド」と「メイドさん」の相違に関して、一例を挙げて考察してみよう。LeafTo Heart”に登場するHMX-12マルチである。彼女は『メイドロボ』であり、「メイド」としての機能がを有している。「わたしにご奉仕させてください」*1という発言などは、まさにメイドものの定石である。しかしながら、マルチを指して「メイドさん」と呼ぶ例が少ないことは指摘しておくべきである。というのも、幾つかの点に於いて「メイドさん」に必要な要素を欠いているからである。
 まず(1)服装である。彼女が着用しているのはエプロンドレスではなく、通常の制服。終幕(随所でメイドロボが活躍していることを説明する場面)ではエプロンを着用しているものの(v65.lf2)、ヴィクトリア様式のものではない。つまり、歴史的・装飾的に「メイドの時代」を参照していないのである。
 続いて(2)社会的関係。主人公(場合によってはプレイヤー)との関わり方である。作中、マルチが主人公を「ご主人様」と呼ぶのは最終夜に入り、主人公宅で恩返しをしている時(および購入後)のこと。それ以前の学校を舞台とした場面では、「〔任意〕さん」と呼んでいる。物語の冒頭から従属する立場であったわけではなく、転換点ではマルチの自発的意志が介在している。つまり、使用者に対する被用者という「メイドの社会的地位」を踏襲していない *2
 これを『殻の中の小鳥』『雛鳥の囀』についてみるに、キャラクター達は様々な事情を抱えているが故にメイドとなることを選択しており、そこには意志が介在している(ここでは、その是非についてまで立ち入ることはしない)。むしろ、本来の「メイド」像に近い。萌え要素たる「メイドさん」を考察するうえでは、シナリオ性との関わりで幾つかの階層に区分することが必要だろう。何故ならば背後にあるシナリオの強弱は、物語冒頭からメイドさんとして登場する『月姫』の翡翠メイド喫茶で働く店員、衣服だけを記号としてメイドさんから借用したデ・ジ・キャラットとで、それぞれ異なるからである。
 さて、マルチの考察に戻る。先に示した2点は、作者(高橋龍也氏)が「メイドさん」に含まれてしかるべきキャラ萌え要素を意図的に排除したうえで、元来の「メイド」が持つ機能のみを抽出し、それを現代的(未来的)にロボットへ与えてみたことを示している。すなわちマルチとは、「メイドさん」をパロディ化することで登場した存在なのである *3。そのため、マルチを指して「メイドさん」と呼べば違和感を生ずる。
 さらに、“To Heart”の物語世界において、もし人間であるキャラクターが「ご主人様」なり「ご奉仕」などの用語を口にすれば、はなはだ奇異なものとして写るだろう *4。構築された世界が、それを許さないのである。では、知性を持つに至ったロボットに隷属を求めることが許されるのか――というのは大変に興味深い話題であるが、これはマルチシナリオが提起した深遠な問題であって、筆者は未だ解答を出すに至っていない。

*1:マルチEdの最終分岐後、内部番号0620。

*2:作中、量産化されたメイドロボの価格は「自動車2台分ぐらいの価格」となっている。市販化されたマルチは低価格が人気を呼んだとあるので、さらに経済的負担が小さい。即ち、購入する側についても社会的地位を必要としていない。これが人間1人を住み込みで雇うとなると、専用の居室を用意したうえで賃金を支払わなくてはならず、自動車2〜4台分くらいの資金が年ごとに必要となる。

*3:http://www.tinami.com/x/interview/04/ の第11節を参照

*4:セバスチャンは別にしていただきたい。

maid (1)

 半ば、昨日の続き。既に登録されていたキーワードに「メイドさん」というのがあったのですが、気になるところを手直しして書き加えているうちに、ぜんぜん原文とは別物になってしまいました。冒頭の2文しか、名残をとどめていません(汗) それがWikiというものだから、いいよね?
 このあと別な人が書き換えて行くと思うので、ここに id:genesis 版を保存しておきます。

メイドさん
 maid
 辞書では「メード」と表記されていることが多い。この訳としては「侍女」「女中」「家政婦」等があるが、これらの訳語が用いられた文脈の中に、萌えの要素を見いだすことは困難である。単に「メイド」と称するならば、市原悦子が演じる『家政婦は見た』の家政婦(日本の近現代)ないし『トムとジェリー』に足だけ登場する黒人おばさん(20世紀初頭の米国)までも広く含めることが可能である。
 オタク文化に於いては、萌えの対象となる場合を区別して「メイドさん」と称する用法が一般的。これを作為的に用いている例として、中山文十郎ぢたま某まほろまてぃっく』が挙げられる。「メイドさん」とする場合に、「眼鏡っ娘」「猫耳」等と同様に萌え要素の1つとしての意味合いが濃厚となる。
 その起源をたどると、PC-98x1シリーズ向けに発売されたゲーム「殻の中の小鳥」(BLACK PACKAGE、1996年)によって「メイドさん物」という分野が確立し、続作『雛鳥の囀』(Studio B-ROOM1997年)によって発展に至ったとするのが通説である。
 「メイドさん」を表す記号としては、エプロンドレスが服装として用いられるが、これは19世紀末の英国・ヴィクトリア様式に依拠するものである。というのも、そもそものメイドという存在が、産業革命の進展*1 に伴って生じた中産階級の存在と密接不可分であり、当時の社会的・経済的階級の存在を背景として成立しているためである。この点については後掲『震空館』に詳しい。エプロンドレスといえば、ルイス・キャロルが著しテニエルが挿絵を描いた『不思議の国のアリス』で有名。この作品は1865年に英国で出版されており、まさにヴィクトリア女王が七つの海に君臨していた時代(1837年-1901年)の産物である。また、名探偵シャーロック・ホームズがベーカー街に住んでいたのも1881年から1904年にかけて(コナン・ドイル卿が彼の物語を著わしたのは、1887年から1927年にかけて)であるから、この時代を知る上で格好の資料である。
 かかる萌え要素の登場は大いに反響を呼び、ゲームの他にもアニメや漫画へと瞬く間に波及。コスプレ等においても高度の人気を持つに至った。2003年には、メイド喫茶の乱立を招くまで加熱する。また、斎藤環がその著書『戦闘美少女の精神分析』に於いて「ファリック・ガールズ」と名付けた方向への分化も起こる。この例としては、前傾『まほろまてぃっく』や、柴田昌弘サライ』が挙げられる。

▼ 関連資料
震空館(メイドさん社会史学ゼミ)
http://homepage3.nifty.com/shinkukan/
The Rabbit Hall(チャールズ=ラトウィッジ=ドジスン研究)
http://www.hp-alice.com/
追記
http://d.hatena.ne.jp/genesis/20040125

*1:英国では、ワットが蒸気機関を改良したことがきっかけとなり、1790年頃から工業化が著しく進んだ。

archivos de Alicesoft

 アリスソフトが、一部の旧作につき自由な配布を認めるという発表を行いました。それを受け、「アリスソフト アーカイブズ」が該当作の頒布を行っています。
http://retropc.net/alice/
 私がギャルゲーに手を染めるきっかけになった『闘神都市』を取り寄せてみたのですが…… 歳月は、思い出を美化させるものなのですね(^^;) 当時としては最も巧みな技法で描かれていたのですが、PC-9801VM仕様 *1 の限界に達するまでは未だ数年の時間があります。
http://www.eonet.ne.jp/~building-pc/index.htm
 このアリスソフトの試みは、英断として称えられるべきものでしょう。
 Windowsというプラットフォームの誕生は、プログラムの操作に伴う煩雑さを減らし、コンピューターの利用にかかる障害を低くするという貢献を果たしました。たしかに、PC-98x1等で動いていたプログラムはエミュレーターという技法を用いれば今日なお利用可能ですが、誰もが容易に扱えるものではありません。こうした技術的な困難さに加え、中古市場から調達しなければならないという問題もあります。それでも欲しがるのは、よほどの好事家でしょう。書籍であれば適切な対価を支払うことにより複製を入手することも可能ですが、ゲームに関してはそのような機構が用意されていません。
 歴史的ソフトウェアは、決して価値を失った代物というわけではありません。具体的に話を進めると、このほど自由頒布が承認されたものの中に「ランス」シリーズが含まれています。『Rance2 ―反逆の少女達―』や『Rance3 ―リーザス陥落―』は、「シナリオ性がある」ことが評価された作品。「シナリオ主導」に至る前史として、参照するに値します。周知のように、東浩紀id:hazuma)氏の著作活動によってギャルゲー評論というものが成立しうることが総論として提起されました。今はその命題の是非を各論研究として検討すべき時期ですが、歴史を持ち知名度も高いアリスソフトはまさに格好の素材といえます。
 そーいえば、『CAL』で名を馳せたバーディソフトはどうしているんだろう? と思って調べたら、興味深い文章を見かけました。『雛鳥の囀』で知られる“Studio B-ROOM”に系譜が連なるとは、寡聞にして知りませんでした。
http://haruna.on.arena.ne.jp/laboratory/history1.html

*1:オプション装着時で、4096色中16色

San Vicente Martir

 守護聖人サン・ビセンテの祝日。
 紹介が遅くなりましたが、ロンドンから戻ってくると新しい同居人が来ていました。アドリアナという薬学の研究者。“Soy Romana.”と自己紹介していたので、最初はローマの出身かと思ったのですが、すぐに続けてトランシルバニアと付け加えていたので、ルーマニアですね。