吸血鬼伝承――「生ける死体」の民俗学
平賀英一郎(ひらが・えいいちろう)『吸血鬼伝承――「生ける死体」の民俗学』(ISBN:4121015614,2000年)を読む。
好著の称号を献ずるに相応しい本だった。その良さは,冒頭の第I章を読むだけで伝わってくる。第I章「フォークロア的前提」は簡潔にして要を得るもので,わずか20頁ほどに本書の趣旨がまとめられている。
以下,後続する読者から楽しみを奪うという無粋な真似になってしまいかねないのだが,内容を紹介させてもらうことにしよう。これから読もうという予定のある方は,ここらでお引き取り願いたい。
著者の経歴は良く分からない。東欧の大学を渡り歩き,ハンガリーの大学で Ph.D を取得したことが記されているが,学術論文DBを開いても業績らしきものが出てこない。学問的系譜としては柳田民俗学に倣うものであることが序文で示されている程度である。しかし生い立ちの不明瞭さが,この著作の面白さを減じるものではない。
まず最初に,バーバー(Paul Barber)を引用して次のように衝撃的な宣言がなされる。
「民間伝承の典型的吸血鬼が こんどのハロウィーンに訪ねてくるとするなら,ドアを開けたときそこにいるのは,肉づきのよいスラヴ人であろう。爪が長く無精ひげを生やし,左眼をあけている。顔は血色がよくふくれている。くだけた服装で,どう見てもだらしない恰好をした農夫である。それが吸血鬼だとわからないなら,それはあなたが――今日ではたいていの人はそうだろうが――黒マントの長身で上品な紳士を予想していたからである。」
ということは…… 由緒正しき東欧の吸血鬼としては,こんな姿を想像すればいいのでしょうか?
▲ 代理出演:キットン(フォーチュン・クエスト)
本書では,時代が大まかに3つに区分されている。
- [1] フォークロア(民間伝承)としての吸血鬼。東欧ないしバルカンの土俗的信仰に登場する妖怪。
- [2] 1725年にセルビアで起きたプロゴヨヴィッツ事件が紹介されたことによって生じた,18世紀西欧での〈吸血鬼〉発見。
- [3] バイロン/ポリドリ『吸血鬼』(1819年),ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)以降。フィクションの産物としてのヴァンパイア。
[3]は「むしろアメリカ合衆国の民間信仰である」として,切り捨てている。そのような形で吸血鬼が存在していることすら忌々しいとする態度は,あまりに潔く天晴れ。トランシルヴァニアやワラキアなども,ヴァンパイアの故郷として担ぎ出されてしまった被災地域として,ごく僅かに登場するのみ。
本書の中心は[1]にある。幾十もの民族が語り継いできたフォークロアを資料としてあたりながら,〈吸血鬼〉の原初状態を掘り起こしていく。分量では大分を占める第II章と第IV章は,その実証のための資料提示である。ここでは,柳田国男が好んだ名彙アプローチが取られているというのも面白いところなのだが,ここでは割愛する。教会に残る記録や,埋葬にあたって施された死者が吸血鬼にならないようにするための予防策などからも,伝承の有無が探られていく。
考察を通じて見えてくるのは,禍をもたらす生ける死者という俗信が,バルカンから東欧にかけて(ハンガリーを除き)形態を変えながらも広く分布しているということである*1。そして,東欧の〈吸血鬼〉が「血を吸うことは決して多くはない」ことが明らかにされる。
「吸血への拘泥は 西欧近代の病理というべきだ。」
とさえ著者は言う。なお,以下のような考察が紹介されていることは付言しておいてもいいだろう。
「血は体液のひとつであり,したがって夢魔(寝ている人と性的に交わる淫魔を含む)や魔女が 乳や精液を奪うのと 同列で等価である。「生気を奪う」の比喩的具象化と考えてもいい」〔132-133頁〕
最後のまとめにあたる第V章は,前述の時期的分類でいうと[2]に該当する時期を扱う。著者にとっては,東欧のフォークロアが奇談として西欧に移入されたことからして面白くないというか,関心が向かないらしい。端的に結論だけを述べて済ませているのだが,それでも十分に興味深いことを言っている。
まず,〈吸血鬼〉信仰の由来は「一種の文明の衝突であり摩擦」ではないかというのだ。すなわち,古代ギリシアやローマでは,火葬が一般的であった。しかしキリスト教には土葬イデオロギーがある。最後の審判の日に死者たちは墓から起き上がることになっているからである。スラブ人やゲルマン人は,キリスト教を受け入れることにより,「死という人生の重大な局面での習俗の変更が行われることになった」。〈生ける死体〉という観念は,土葬されながら腐敗しない死体が生じた際などに形成されたものであり,禍をなすとみなされる〈生ける死体〉に対しては昔の習俗である火葬を施すことにしたのではないか――というのが著者の見方である。
他方,古くはヨーロッパの東西に広く信じられていたであろう〈生ける死体〉という死霊観念が,東では保持されたのに西では消失した理由として煉獄を挙げている。12世紀にカトリックが「煉獄」を教義として唱えたが,ギリシア正教では認めていない。「煉獄」が東欧と西欧の分岐点のひとつではないか,ということが述べられている。
そして,西欧が〈吸血鬼〉を発見した18世紀前半は,ハプスブルク帝国(オーストリア)がオスマン帝国と軍事的に戦い,トルコの側からもたらされるペストという疫病とも闘っていた時期であった。〈吸血鬼〉事件は,これら2つの戦いの前線付近から現れてきたものであることから,著者はそこに恐怖(フォビア)の存在を読み取ろうとしている。
残念なのは,これら歴史的な観点についての叙述は,先述の理由から示唆に留められているところであろうか。それでも,「フォークロアの吸血鬼」と「フィクションのヴァンパイア」との違いを知らしめてくれるには十分なインパクトを持った書物である。
何しろ今,私の脳内では,アルクェイド*2が,Evangeline.A.K.McDowell*3が,真紅果林*4が,それに葉月*5が,見るも無惨なぶくぶくとした姿へと変貌を遂げているのだ……*6
▼ 関連資料
- Fuckin' Kingdom - 東欧の吸血鬼信仰と18世紀西欧における吸血鬼論争について
- Wikipedia - 吸血鬼
- http://d.hatena.ne.jp/./rousseau/20060212/1139755578
- http://d.hatena.ne.jp/trivial/20060205/1139090599
- http://d.hatena.ne.jp/cogni/20060206/p1
- http://kamakura.cool.ne.jp/chaccu/ (アイコン)