桜野みねね 『フェアリアルガーデン』

 昔むかし,『まもって守護月天!』というお話がありました。
 優しくはあるけれども押しは強くない少年のところに精霊シャオリンが現れ,つられて女の子が続々と周りに現れるという一種のハーレムもの。愛すべきは離珠(りしゅ)という,ちんまいツインおだんご頭娘だったのでし
 掲載が始まったのは1996年4月のこと。エニックスの『少年ガンガン』が掲載誌でありました。同誌は桜野みねねの他にも天野こずえを擁しており,独特な空気感を漂わせる場が次第に形成されていったのです。その後,スクウェア・エニックスから引き抜きを受けた作家陣を据えて2001年にマッグガーデンが設立されます。少年漫画でも少女まんがでもない何かがレーベルとして生まれるに至る分水嶺として,桜野みねねの名は刻まれることでしょう。

 とはいえ,『守護月天』は再逢(Retrouvailles)において失敗しています。桜野作品を端的に示すならば『Healing Planet(ヒーリング・プラネット)』(ISBN:4757504926ISBN:4861270707)を参照するのが相応しいでしょう。

フェアリアルガーデン(1) (BLADE COMICS)

 その桜野みねねによる数年ぶりの作品が『FAIRIAL GARDENフェアリアルガーデン)』(asin:4861274680)。
 《フェアリア》と称される妖精を産む種が開発されている世界でのお話。妖精の研究に没頭する父母と折り合いをつけられずにいる少年が,拾ってきた鉢植えを育てたところ妖精が咲いた。ところがそれは妖精の中でも希少な《フェアリアル》で……。
 ぽやや〜んとしたエルフ耳の妖精,おバカな級友,タレ目でアホの子なメイドさん
 懐かしき桜野みねねが此処にあります。
 ただ―― 『守護月天』に郷愁を感じないとしたならば,評価するのは難しい出来というのも正直なところ。もはや〈癒し〉の時代は前世紀の彼方。フェアリアルとの邂逅は唐突だし,ストーリーも全然進まない。心を閉ざしている少年を軸にしたテーマを描こうという意欲が感じられるのだが,ぽわぽわとした作風の故に長引きそうな構成。無事に(打ち切られることなく)完結を迎えられるのかが心配されるところではある。
 空気の肌触りを楽しむ作品として捉えるならば,実に柔らかな風合いが楽しい。
▼おとなりレビュー

桜野みねね作品は常に想いの伝わらなさをテーマにしてきたが、今回も言葉がわからないクレアをヒロインにすることでそれを描こうとしているんだろう。」

http://d.hatena.ne.jp/arctan/20080115/1200422721

「ひたすら絵と、そして雰囲気を楽しむ作品だと思う。」*1

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080121/p1

「いわゆるボーイ・ミーツ・ガールな一目惚れ話なのですが、すぐそこにいるのに届かない想いを描く手腕はさすが守護月天の作者さん、という感じ。」

http://pasteltown.sakura.ne.jp/akane/games/blog/archives/2008_1_24_1345.html

*1:それにしても海燕氏の〈良かった探し〉は秀逸である。

湖西晶 『ソーダ屋のソーダさん。』

 湖西晶(こにし・あき)の新刊『ソーダ屋のソーダさん。』(ISBN:4758080003)を読みました。

「私…… 死んでしもうたみたいなんよ……」

というプロローグから始まる。息もしていない,体温も冷たい,心臓も動いていない。なのに,しゃべって動くのは島唯一の店である早田商店(愛称ソーダ屋)の早田沙和(そうだ・さわ)。そんな彼女にドキドキする青年漁師,斎田光哉(さいだ・みつや)。ちなみに恋のさや当てに途中から加わるの看護師の名は,木林(きりん)れもん
 先月に出た『エデデン!』(ISBN:4832276689)は,率直に言って出来が悪かったので心配だったのです。打ち切りになったというのは差し引くにしても,非4コマであるが故に間延びしてしまった感じが強かったです。
 それに対して本作は良い出来でした。コミカルな4コマだと湖西の才能が光ります。あと,これは『お湯屋へようこそ』でも発揮されていましたところであるのですが,ホロリとするフレーバーの加減が上手い。手垢の付いた〈奇跡〉と〈御都合主義〉であっても,使ってみせてもらいたい時があります。上述のような奇怪な設定から始まる『ソーダさん』ですが,最後は綺麗に締めくくってみせてくれました。

紙屋高雪 『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』

 発売日に注文してあった紙屋高雪(かみや・こうせつ)『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』(asin:4806713562)が届きました。
 「紙屋研究所」については御存知の方も多いでしょう。これまでその存在を知らなかったという人は,私から本書の内容解説を通して説明するよりも,直接にアクセスして触れられた方が理解が早い。

 私はというと,紙屋さんに心酔するシンパを自認しておりますので(政治的には中道左派ですけれど)発売情報が出たところで即座に購入を決めました。
 こういったウェブ起源の書籍化商品を購入する目的としては,(1)作者に対する有形の支援活動として,(2)書籍独自の付加価値が欲しくて,(3)可読性ないし一覧性の向上を求めて,(4)紙の上にインクで固定させた状態で保管するため,ということが挙げられるかと思います。私の遍歴だと,COCO『今日の早川さん』は買いましたが,小島アジコとなりの801ちゃん』は購入を見送り,ざちおはねむす』は古本に手頃な値段がついていたので入手して,とか。
 本書『オタクコミュニスト〜』の場合,収録されているのは約30本の記事。従って,コンテンツを所蔵(アーカイブ)する目的としてならば,かなり劣ります。しかし作者自薦集としてみれば唸らされる出来。ウェブサイトでは時系列に沿って(つまり発表順)に並んでいますが,本書ではテーマ別の構成を採っています。

かかる章題のもとにこれらの作品をこの順で並べられていることに興味が持てるならば,本書は手にする価値があると考えます。それぞれ個別には既に読んでいるものであっても,総体としての組み立てによって味わいが生まれています。ワインとチーズのマリアージュ(相乗効果)のように。各章の締めくくりには《マンガではないもの》を置いてフレーバーを加えているのも演出として評価できるところでしょう。編集の妙味ですね。
 ちなみに,このあとの章は次のように続きます。

  • 第2章 恋愛とセックス――ぼくの脳の8割くらいを占める関心事
  • 第3章 仕事――働くとは面白いことかつらいことか
  • 第4章 結婚・子育て――生活と家族が生成する
  • 第5章 実家・学校時代――自分の根拠をみつめる
  • 第6章 戦争と政治――無関心といわれても

 個別の作品評ですが,ウェブ掲載の元文章と対照させてみると,大筋では異ならないものの細部に手が加えられています。きづきあきら+サトウナンキ『いちごの学校』(これは2007年8月7日に書かれた新しいもの)を例に取りますと,ブロックにして3つほど削られていました。陽気婢『えっちーず』『内向エロス』の項では,ラブコメに関する一般論が書き改められていたり。これらの修正により,評論の精度は向上し洗練されています。
 「ウェブで見られるのを,わざわざ1,890円を出して買う必要あるのか?」と思われる方々へ向けてのメッセージを送ります。書籍版で読んでみる価値,ありますよ
▼おとなりレビュー

*1:余談。本書を開くまで「エビちゃん」というのが女性だということを知りませんでした。お笑い芸人だと思ってたよ。テレビなんて観ないからなぁ...

その 黄昏の姫君に向ける眼差しは……

 天野こずえARIA(アリア)』第11巻(ISBN:9784861274312)を読みました。
 作中時間にして2年ほど見習いとしての時間を過ごしてきたところで描かれる一人前(プリマ)昇格のエピソード《Navigation 55》。
 「おめでとう」の声が響く場面を,陰鬱な心持ちで眺めていました。舟(ゴンドラ)協会は酷なことをするなぁ――と。
 ここに至るまでの間,数多くのエピソードが〈成長〉を語るために費やされてきました。
 そもそもアリスが初登場した回からして,藍華が包み隠さぬ対抗心をぶつけたことが契機となって関係が生じたのでした。

ARIA 3 (BLADE COMICS)
「あの子の性格を直してあげないと この先社会で絶対痛い目みるわ
 だから今 私たちがギャフンと言わせてあげなきゃいけないのっ」
《Navigation 11》 第3巻24頁

 この対抗的関係は巻を経ても続き,藍華はアリスを指して「後輩ちゃん」という呼称を繰り返し使うことで社会的立場を暗示します。ですが,藍華が時折顕著に示していた〈他者との距離感を測ることによって自我の確立を得る〉態度は,晃によって矯正されます。具体的には,「アリシアさんみたいな水先案内人(ウンディーネ)になれますように」と呟いたところにぶつけられる晃の言葉は,同世代間においても効力を持ちます。

ARIA 7 (BLADE COMICS)
 「いいか 藍華
  おまえは おまえにしか なれねーんだ!」
《Navigation 31》 第7巻26頁

 青春期における成長速度の差という問題意識は,まさに第11巻の冒頭《Navigation 51》に置かれたエピソードによって揺さぶり起こされます。しかしながら巧妙なことに[灯里‐藍華‐アリス]という後続世代での問題処理に先立ち,既に功成り名を挙げた先行世代[アリシア‐晃‐アテナ]の内部における葛藤を描いています。この構造があるために,後続世代の内部で(殊に藍華からの感情発露によって)関係性に危機的な亀裂が生じることを未然に防いでいます。

ARIA(10) (BLADE COMICS)

 水無灯里については,別なアプローチで問題の提示が行われていました。この,無垢・無辜・無謬によって彩られているかのようなネオ・ヴェネツィアにあっても物語空間内に“世界を統べる悪意”の存在することは,“輪っかの外”に居る人物から間接的に示されます。渡し舟(トラゲット)の仕事をした際に同僚となった「半人前(シングル)」として登場するのは,「ついこの前に一人前(プリマ)への昇格試験に落ちたばかり」の杏(オレンジぷらねっと),「一人前(プリマ)にはならない」「トラゲット専門の水先案内人(ウンディーネ)になりたい」と語るあゆみ(姫屋),そして本当の願いを語ることをやめたアトラ(オレンジぷらねっと)。この三人の姿を介在させることにより,灯里らが立ち止まってしまうことのないよう防波堤が築かれます《Navigation 48》。
 さて,周辺事情を処理したところでアリスについてです。
 幾度かの季節を過ぎるうち,後続世代3人の関係性は強固なものとなっています。社内の同僚と良好な関係を構築できていないことを指摘されても

 「私には灯里先輩達がいるからいいんですっ」
《Navigation 33》 第7巻84頁

と答えるまでになっていました。

ARIA 6 (BLADE COMICS)

 後続世代の内部に起こる摩擦は,パラレルな関係にある先行世代も担うことで軽減されます《Navigation 26:オレンジな日々》。後続世代に対して寄せられる“悪意”も,3人の連帯があれば霧消することでしょう。
――順当に,半人前(シングル)から一人前(プリマ)へと昇格するのであれば。
 晃は,顔のない匿名の悪意を受けて次のように述べます。

ARIA 9 (BLADE COMICS)
 「時には耳に痛い話を真摯に受け止めるのも
  一人前(プリマ)の務めだ」
《Navigation 44》 第9巻108頁

 即ち,アリスは弱冠14歳にして,かかる“悪意”に立ち向かうことを宿命付けられたわけです。半人前(シングル)という心の準備期間を経ることなく。

 今の私達に欠けているもの
 それはきっと
 一人前(プリマ)としての
 何ものにも負けない
 強い意志と――覚悟
《Navigation 44》 第9巻119頁

 アリスは「操舵の技術」「観光案内や接客」「舟謳(カンツォーネ)」の力量こそ高く評価されました。しかし,社会(業界)の中で生き抜いていくに足る精神の強さは?

 あの,黄昏時に風車が回る場面では,〈オレンジ・プリンセス〉に向けられる眼差しは暖かい。そして,この慈愛に充ち満ちた物語空間の中では,たとえ小さな諍いは起こったとしても,きっと乗り越えていく展開が待っている。
 しかし,必ずしも羨望ばかりではない「輪っかの外」からの声が聞こえてくる。
――病んでいるのは,物語に仮託して“悪意”を吐きだしている鬱屈した私。という自覚は,未だ,辛うじてある。

天野こずえ 『AQUA』〔西語版〕

 スペイン旅行の(自分のための)お土産に,天野こずえ『AQUA』を買ってきました。各8ユーロ。

  1. ISBN:9875624888
  2. ISBN:9875625035

2006年3月からシリーズ刊行が始まっており,現在は『ARIA』の翻訳も第4巻あたりまで進んでいました。でも,全部を買い込んでいたらキリが無い(スーツケースの容量に)。原本はエニックス*1しか持っていなかったので,新装版*2を買うつもりでスペイン語版を求めてきた次第。
 表紙を遠目に見ると新装版と区別がつきませんが,(1)標準的なフィルムコート紙を使用,(2)巻数を示す白抜き文字の地色がエメラルドグリーン,(3)A.D.2301 The Voyage from NEO-VENEZIA. の一文が無いところに相違があり。
http://www.editorialivrea.com/ESP/manga_aqua.htm
 比較対象しながら読んでみたのですが――
 卒がないと申しましょうか。原文からして複雑な言い回しをしているところが少ないので,訳文にしても辞書無しですんなり理解できます。キャラ固有の言い回しでも無理はしていません。

 藍華恥ずかしいセリフ禁止!」 → “ ¡Está prohibido decir cosas asi! ”(そのようなことを言うのは禁止です)
 水無灯里「はひ〜」 → “ ¡¿Cómoooooo?! ”(何だって!?)
 アリシアさん「うふふ」 → “JuJu*3

 唯一,わざと訳を変えていると思われたのは「もみ子」。

 「立派な もみあげだな」→ “ Menuda trenza. ”

反訳すると「立派なおさげだな」になっています。ちょっと訳者の意図はわかりません。
 諸外国の読者に伝わるのか気になるのはガチャペンですが,ここは脚注を付けるのではなく,暁のセリフに細工をして解説を込めています(右側の吹き出し)。

 “Es un monstruo legendario de la tierra.”
 (それは地球における伝説上の怪獣です。)

 ステンシルコミックス第2巻の巻末にあった短編『オセロゲーム』は,お見舞いにプリンを持っていくエピソードに差し変わっていましたけれども,これはたぶん元のブレードコミックス版での仕様ですよね?

*1:ISBN:4757505043ISBN:4757506473

*2:ISBN:4901926896ISBN:490192690X

*3:スペイン語の J は,日本語のハ行に近い音になる。

ヤス 『五日性滅亡シンドローム』

 昨日,店頭に平積みされていた彼女と目線が合った。

 世界が終わるまで,
 あと五日。

という帯に,きゅん☆ときたので購入。こういう後ろ向きな設定が大好きな私。*1
 ヤス(YASU)『五日性滅亡シンドローム -- five days ruin syndrom』(ISBN:4832276379)は,『まんがタイムきらら』掲載のストーリー4コマ。あと5日で世界が滅亡するという噂の広まった学校を舞台に,1日ずつカウント・ダウンが進む。
 本の半ばほどで五日目になってしまったのでどうするのかと思ったら,仕切り直して《第二期》に。再び「あと五日」のやり直しです。

かしまし 5―ガール・ミーツ・ガール (電撃コミックス)
終末の過ごし方

 終局を間近に迎えることになった人々の在り様,というテーマ設定は興味深いのだけれど,テーマに殉じたストーリーの組み立てをしているものが少ないので物足りなさを覚える。それでも《第一期》は未だテーマを描こうとする心意気が透けて見えるのだけれど,《第二期》になると「死神」を登場させてのコミカルさを強調した造りになってしまう。
 最近だと,桂遊生丸かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜』(ISBN:4840239045)が,超展開をかました上で〈終わりへ向かう日々〉を真面目に描いていましたけれど,本作は逆の方向へ向かう。
 かといって,〈世界は終わろうとしているのに営まれ続ける日常〉という路線だと,アボガドパワーズの名作『終末の過ごし方』(1999年,asin:B00008YM2I)との比較をしてしまう。

1週間後に人類滅亡を控えた人々の、非日常という名の日常の物語。
その状況の中で、諦めたように学校へ通い続ける主人公達。
果たしてその先に何があるのか。
ヒロインが全員眼鏡ッ子という点でも妙に注目されてみたりする――おしまいの物語。

http://www.abopa.net/product/shuu/we_t.html

 『五日性〜』は,きらら系の軽妙さが持ち味でもあり,残念なところでもあり。

*1:ちなみに,買い物に出かけたのも「ぼくらの」のチズ編を鬼頭莫宏の原作で読みたくなったから,だったり。

朝日ソノラマ解散。それは――

 当社は9月で店仕舞いします

http://www.asahisonorama.co.jp/hp/whatsnew/readers.html

 とっさに本棚を眺め,自分への影響度を測った。川原由美子選集は完結しているから構わないとして,行く末が気がかりなのは『ねこめ〜わく』か*1

  1. ISBN:439191445X 第1巻(1993年8月,主婦と生活社
  2. ISBN:4391916339 第2巻(1997年3月,主婦と生活社
  3. ISBN:4872877128 第3巻(2002年8月,宙出版
  4. ISBN:425790545X 第4巻(2006年1月,朝日ソノラマ

 あ゛…… 会社が解散する理由,ものすごく納得できました。*2
 うじゃうじゃ。

*1:このシリーズは,掲載誌が『アップルファンタジー』→『ミステリーコレクション』→『アップル謎組』→『アップルミステリー』→『ねこミックス』→『夢幻館』と変遷を辿っている。ちなみに,編集長はすべて同じ人らしい。

*2:竹本泉が描くと雑誌がつぶれるのか,雑誌がつぶれそうになると竹本泉が呼ばれるのか:that is the question.

吾妻ひでお 『逃亡日記』

 吾妻ひでおあじま)『逃亡日記』(ISBN:9784537254655)が本棚の中から出てきた。
 この本,巻頭部分で作者自身が

「皆さん この本 買わなくていいです! 漫画だけ 立ち読みして ください」

と宣言する,明白な“便乗本”なのです。冗談かと思っていたら,必然性もなくメイドさんとのツーショット写真がピンナップとして挟まれていたりして見るに堪えない。でも買ってしまったからには今さら立ち読みで済ませるわけにもいかず放ってあったのでした。
 で,文章編を読んでみたのですが―― インタビュアーに不満を感じる。色々と資料を集めて努力したのは分かるのだが,対談相手になるほどの力量は持ち合わせていないようだ。かといって,読者を代行する位置に退いて黒子に徹しているわけでもなし。インタビュアーが私見を陳述している頻度が多く,あまり褒められた構成ではないと思う。