大学院はてな :: 結婚相手が同業他社に勤めていることを理由とする解雇

 研究会にて,O法律事務所(事務員解雇)事件の検討。
 被告Yは名古屋市内で開業している弁護士事務所の経営者(ボス弁)。原告X(女性)はYの事務員であった者。
 2002年11月,Xは同じ名古屋市内の別な法律事務所に勤める弁護士と近く結婚することにし,Yに対し通知した。これに対しYは,秘密保持や依頼者との信頼関係を理由に年度末をもって雇用契約を終了させることを提案――したらしい。本件では,この際の会話のやり取りが問題となっている。実際にどのような会話があったのか,今となっては知り得べくもない。ただ「裁判所が認定した事実」があるのみである。
 この「裁判所が認定した事実」が食い違っているために判決の結論は分かれており,第一審*1ではXは「分かりました」と回答したものであるとしたのに対し,控訴審*2ではこの発言を否定している。それ故,第一審ではXが提案を承諾したので「合意解約」の問題であるとしているのに対し,控訴審ではXが提案を受諾していないので使用者の一方的な意思表示であるから「解雇」の問題であるとして処理している。さらに,第一審は合意解約が成立したものとしてXの請求を棄却したのに対し,控訴審は解雇は合理的な理由を欠くと結論づけた。

審級 契約の解消  事案の類型  結論 
第一審  労働者が承諾  合意解約  請求棄却 
控訴審  労働者は拒否  解雇  請求認容

 しかし…… 出てきた法律論はいずれもおかしい。
 まず第一審であるが,合意解約を成立させるためには翌2003年1月28日ころに,Xが「私がなぜ辞めなければならないんですか?」とYを問いただしていることが引っかかりとなる。確かに2002年11月の段階では合意解約が一旦は成立したのだとしても,「合意解約の撤回」がなされたとみる余地が多分にあるからである。
 次いで控訴審であるが,本件ではXが2003年3月31日の退職前に有給休暇を消化し,5月6日に異義無く退職金を受領した後の6月11日になってから訴訟を提起していることが引っかかる。なるほど,裁判所が

 確かに,法律事務所の職員の配偶者が,当該事務所と相対立する立場に立つ法律事務所の勤務弁護士である場合,抽象的な可能性の問題として考えれば,情報の漏洩等の危険性を完全に否定することはできないであろう。しかし,法律事務所に勤務する事務員は,依頼者の情報等職務上知り得た事実について,弁護士と同等の法律上特別に定められた秘密保持義務ではないとしても,当然に一定の雇用契約上の秘密保持義務を負っているのであり,通常はこの義務が遵守されることを期待することができるというべきである。また,名古屋市内で業務を行っている弁護士は900名を超えるのであるから,実際にそのような利害対立が生じる場面は決して多くはないものと考えられ,Yの指摘する危険等は,いまだ抽象的なものと言わざるを得ない。また仮にそのような利害対立の場面が実際に生じたとしても,何らかの措置を講じることによって,弊害の生じる危険性を回避し,依頼者に不信感を与えることを防止することは十分に可能であると考えられる。夫婦共働きという在り方が既に一般的なものになっている今日,上記のような抽象的な危険をもって,解雇権行使の正当な理由になるとすることは,社会的に見ても相当性を欠くというべきである。

――と説示するのは妥当であろう。しかし,《抽象的な危険》を理由にして使用者が労働者を一方的に解雇することは認められないことであるが,使用者と労働者が双方合意の上で労働契約を解消することは妨げられない*3控訴審ではYの行為が不法行為に該当するものとして賃金3か月分の支払いを命じているが,その説示では「不本意ではあるが渋々承諾する」という労働者の選択が存在することが欠落している。本件は,退職日の前と後とでは請求を認めるための筋道が変化しそうな事案だ。逸失利益ないし慰謝料を認める結論を導くためには,論理構成が甘いことを指摘せざるを得ない。
 結局のところ,本件に関わった弁護士双方とも労働法のことを良く分かっていないことが分かった。弁護士だって,マイナーな法領域である労働法については知らないことが多い,というのは知っておいてもいいだろう*4

*1:名古屋地判 平成16年6月15日 労働判例909号72頁

*2:名古屋高判 平成17年2月23日 労働判例909号67頁

*3:例えば,雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(いわゆる男女雇用機会均等法)第8条3項は「事業主は,女性労働者が婚姻し,妊娠し,出産し...たことを理由として,解雇してはならない」としているが,合意解約(すなわち結婚退職の提案)をしてはならないとは定めていない。

*4:本件において原告Xの訴訟代理人は夫が務めている。この夫氏,主張の中で「職場環境調整義務」を唱えているが,これはセクシャル・ハラスメント事案で用いられる用語であって,あまりにも場違い。名古屋高裁は「主張するところは,必ずしもその位置づけ等が明確でない部分がある」とたしなめている。その言わんとしていることは「解雇回避努力義務」のことであろう。