大学院はてな :: 新規採用者の賃下げと団体交渉

 研究会で,国・中央労働委員会(根岸病院・初任給引下げ団体交渉拒否)事件を素材に議論しました。
 この事件の面白いところは,「新規採用者の初任給を引き下げること」は労働組合との義務的団体交渉事項にあたるのか? が焦点となっているところです。
 団体交渉において労働組合と使用者が何を取り上げるかは当事者の任意に委ねられます。しかし,労働委員会(行政委員会)に対して行政救済を求めうるかという関係では,使用者が団体交渉を拒否できない範囲(義務的団交事項)が定められます。一般的にいって労働者は入社したあとに労働組合に加入するので,新規採用者は労働組合の組合員ではありません。果たして,新規採用者(=労働組合のメンバーではない者)の賃金決定は義務的団交事項にあたるのでしょうか?
 これについて,第一審(東京地裁判決平成18年12月18日判例時報1968号168頁)は,義務的団交事項ではないと判断しました。

 「義務的団体交渉事項とは,団体交渉を申し入れた労働者の団体の構成員たる労働者の労働条件その他の待遇,当該団体と使用者との間の団体的労使関係の運営に関する事項であって,使用者の処分可能なものと解するのが相当である。そうだとすると,非組合員に関する事項については,それが当該労働組合やその構成員である組合員の労働条件に直接関連するなど特段の事情がない限り,原則として義務的団交事項には当たら」ない。
 「本件初任給引下げは平成11年3月1日以降の新規採用者に対し適用されるものであり,それ以前に根岸病院との間で雇用契約を締結していた者,換言すると,本件初任給引下げについての団体交渉申入れの時点でZ労組に加入していた職員には適用されないことが認められる。そうだとすると,Z労組は,非組合員の労働条件について,Y病院に対し,団体交渉を申し入れていたというべきであり,本件初任給引下げは,特段の事情が存在しない限り,Y病院とZ労組との間の義務的団交事項には当たらないというべきである。」

 これに対して控訴審(東京高裁判決平成19年7月31日労働判例946号58頁)は,義務的団交事項であるとして原審の判断を取り消しました。
 地裁判決が変な結論を出してしまった原因ですが,まず第1に職場における労働組合の役割を代理的に考えていたということがあります。すなわち,弁護士に顧客が解決を依頼するときのように,労働者から労働組合に交渉を依頼した範囲で義務的交渉事項が定まると捉えていたようにうかがわれます。しかしながら,労働組合の役割は労働者を代表することにあります。職場におけるルールを公正に設定するような場合,所属する組合員のみならず非組合員を含めた職場全体を調整する役割が期待されます。
 地裁判決の問題点の2つめとして,「義務的団交事項である」ことと「処分可能である」ことを混同していたことがあるでしょう。例えば賃金の引き下げを行うような場合,団体交渉を通じて労働組合がこれに同意したとしても,この合意に拘束されるのは原則として組合員に限られます。これを非組合員にまで広げて職場全体に適用しようとするならば,(1)協約の拡張適用(労働組合法17条)を行う,(2)使用者が定めることになっている就業規則の記載を労働者にとって不利益に変更する,(3)労働者と個々に協議して労働契約を変更する,といった方策を講じる必要があります。つまり何を言いたいのかというと,「団体交渉のテーブルに乗せるかどうか」と「労働協約で決められるかどうか」とは範囲が異なるということです。これを本件に即してみると,控訴審判決では次のように説示しています。

 「労働組合法7条2号は,使用者が雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなく拒むことを不当労働行為として禁止しているところ,これは使用者に労働者の団体の代表者との交渉を義務付けることにより,労働条件等に関する問題について労働者の団結力を背景とした交渉力を強化し,労使対等の立場で行う自主的交渉による解決を促進し,もって労働者の団体交渉権(憲法28条)を実質的に保障しようとするものである。このような労働組合法7条2号の趣旨に照らすと,誠実な団体交渉が義務付けられる対象,すなわち義務的団交事項とは,団体交渉を申し入れた労働者の団体の構成員たる労働者の労働条件その他の待遇,当該団体と使用者との間の団体的労使関係の運営に関する事項であって,使用者に処分可能なものと解するのが相当である。
 非組合員である労働者の労働条件に関する問題は,当然には上記団交事項にあたるものではないが,それが将来にわたり組合員の労働条件,権利等に影響を及ぼす可能性が大きく,組合員の労働条件との関わりが強い事項については,これを団交事項に該当しないとするのでは,組合の団体交渉力を否定する結果となるから,これも上記団交事項にあたると解するべきである。

 そして第3の問題点として,地裁判決は問題の背景事情――コンテクストを見ていなかったということがあります。控訴審判決を読むと,この職場では新規採用者も相当数が組合に加入していたことと,これまで慣行的に初任給が議題に取り上げられてきたことが分かります。

 「新規採用者の少なからぬ者が短期間のうちにZ労働組合に加入していたと認められるから,本件初任給引下げは短期間のうちに組合員相互の労働条件に大きな格差を生じさせる要因でもあるから労使交渉の対象となることが明らかである。」
 「初任給額が常勤職員の賃金のベースとなることから,Z組合が初任給額を重視し,Y病院においてもこのことを理解し各年度の初任給額をZ組合に明らかにするとの運用がされてきたものであり,本件初任給引下げは,初任給の大幅な減額で,しかも,Z組合の組合員間に賃金格差を生じさせるおそれがあるものというべきであり,将来にわたり組合員の労働条件,権利等に影響を及ぼす可能性が大きく,組合員の労働条件との関わりが極めて強い事項であることが明らかである。」

労働事件審理ノート
このような取り扱いがなされてきたにも関わらず,初任給の引き下げを実施5日前に突然,一方的に通告した使用者の態様は誠実さを欠く行動だったと評価されるものでしょう。
 あと,もう一つ,この事件で困ることは,第一審の裁判長が難波孝一氏だったことでしょうか。昨今,法曹実務に携わる弁護士さんの間でマニュアルとして重用されている『労働事件審理ノート』の編者です。こんな“頭の堅い”判決を出すような真似はしてほしくないのですが……。