美少女ゲーム年代記: 1984「堀井雄二がもたらした変革」

 1980年代の中頃,後にビジュアルノベル形式が開花するのに必要な重要な布石が打たれる。堀井雄二によるミステリー三部作の登場である。第一作『ポートピア連続殺人事件*1は,1983年にパソコン版が発表された。1984年に『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』(ログインソフト)が,1985年には『軽井沢誘拐案内』(エニックス)が発表されている。
 堀井の三部作がADVにもたらした貢献は,大きく2つの点に求めることができる。

コマンド入力からコマンド選択へ

 まず第一に「コマンド選択方式」を定着させたことである。もともと『ポートピア連続殺人事件』がパソコン版として登場した際には「コマンド入力方式」であったが,ファミコンへ移植されるに際して「コマンド選択方式」が導入された。「次の行動をシステムが提示した選択肢の中から選ぶ」というゲームシステムは現在に至るまでADVという形式の根幹となっているが,1985年頃に登場したものである。

サラダの国のトマト姫
 初期のADVを代表するものとしてハドソン社の『デゼニランド』(1983年,ハドソン*2)や『サラダの国のトマト姫』(1984年,同)があるが,これらは「英語コマンド入力方式」を採っている。システムが「ドウシマスカ?」と行動を促してきたら,プレイヤーは次の行動を(英語辞書を引きながら)模索し,“GET MONEY”“OPEN DOOR KEY”などと入力することでゲームを進めていた。すなわち,ADVとは《言葉探し》と同義であったのである。後に日本語化して「ゲンバニ イケ」のように記述するものも現れるが,それでも《適切な単語を探し出す》ことがADVゲームのプロセスであったことに変わりはない。入力した動詞が間違っていると「ココデハ ×× デキマセン」というメッセージが返されるので別なものを考え,返答が「ナニヲ ○○ スルノデスカ?」に変化したところで目的語の方を考える――というのがゲームの楽しみ方だったのである。ゲームをやると英語の勉強になる,という遊びの正当化がまことしやかに主張されていたくらいである。筆者自身の経験では『D-SIDE ―― ラグランジュ(LAGRANGE) L-2 Part Ⅱ 』(1986年7月,発売元:コムパック,制作元:ヴィークルソフト)というSF作品で2晩ほど単語を探し続けたことがある*3。当時はパソコン通信も未だ登場していない時期であってゲームを攻略するための情報に乏しく,雑誌の攻略記事を読むしか解決方法が無かった。
 余談になるが,1980年代後半に活躍していたゲーム評論家として,山下章(やました・あきら)について触れておこう。『マイコンBASICマガジン』誌(電波新聞社)で記事を書いていた山下は,1984年2月号から「チャレンジ・アドベンチャー・ゲーム」という連載を始める。このコーナーは,単に攻略情報を載せるだけではなかった。直接に解答を示すのではなくヒントを巧みに繰り出しつつ,画面写真をふんだんに用いて臨場感たっぷりにゲームの進行を紹介する独自のスタイルが打ち立てられた。この連載は読み物として面白いことから評判を得て,単行本としてまとめられた別冊は大いに重宝がられた。山下が記事に取り上げた作品を眺めると,1980年代の(健全な)ADVとしてどのようなものがあったかを一望できる。

ゲームシナリオの向上

 堀井雄二がADVに起こした変化の第二は,ゲームにおけるシナリオの質的変化である。
 ゲームをするという営みは「コマンド選択方式」の登場によって質的に変化した。当時を述懐すると,「コマンド入力方式」の《言葉探し》が持っているクロスワードパズル的な要素(適合する単語を見つけた時に得られるカタルシス)こそがADVの楽しみである,という言説も少なからず聞かれたのである。前述の『デゼニランド』では「柱を磨く」といった不条理な行動を要求されることがあったが,これは解答となる単語を見つけにくくすることによってゲームの難易度を調整していたからである。
 しかし「コマンド入力方式」を支持する声は,『オホーツクに消ゆ』の登場した頃から聞かれなくなる。シナリオが面白ければ「コマンド選択方式」であっても十分に楽しめるし,むしろ《言葉探し》に腐心しなくて済むぶんシナリオを味わえることが周知されるに至ったのである。
(続く)