姑獲鳥の夏

 映画『姑獲鳥(うぶめ)の夏』を観てきた。
http://www.herald.co.jp/official/ubume/
http://www.ubume.net/

「この世には不思議なことなど何もないのだよ」

 いや,この映画が眼前にあることが不思議なんですけれど……。何というか,学芸会?
 京極夏彦の原作(ISBN:4061817981)を,あえて要約すると「視える≠在る」そして「主観≠客観」。それを映像で表現するのは無理があったんじゃないかなぁ,と。ポイントになるあのシーン,素直にやるならフレームワークを主観的に構えないと辻褄が合わないのに。
 不自然にスポットライトが使用されていることから思いついたのですが,もっと白々しく,「演技っぽく」演技したら,また違ったのではないかと(簡単に言うと,古畑任三郎)。オペラなどの舞台芸術なんかだと,観客が見ているものと,出演者が見ているはずのものは違う――という表現があるし。

The Phantom of the Opera

 大学に行く用事があったので外出。帰りがけに映画『オペラ座の怪人』を観てきました。さすがミュージカルで成功を収めた作品だけあって、音楽が良かったの♪(うっとり)
 しかし、どうしてファントムまで美形にするかなぁ。あんな凛々しい顔だと、マスクを付ける理由が無いように思うんだけれど。
 あと、戸田奈津子さん。翻訳が不得手な私でも「?」と思うような字幕はやめてください。
http://uk.geocities.com/jonetsuplay/ (珍訳集)
http://enbi.moo.jp/phantom/phantom-movie.html (字幕改善委員会)

A I R

 劇場版AIRを観てきました。
 うぐぅ。これって、本当に“A I R”?
――というくらい、ゲーム(ASIN:B00005ON3V)とは別な作品。この先ネタバレになるので、ご注意を。

ゲーム版
http://key.visualarts.gr.jp/(以下、麻枝准AIRとする)
劇場版
http://www.air2004.com/(以下、出崎統AIRとする)
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The place promised in our early days

 札幌のミニシアター「シアターキノ」で新海誠監督の新作『雲のむこう、約束の場所』を観てきた。
 幕が上がったところで、気づかれないように内心ため息をつく。
 「どうして、こんな作品に仕上がっちゃったのかなぁ……」
 端的に言って、物語としては破綻した作品。前作で評価された対象である「企画から製作までをすべて1人がこなした」という部分が、逆に負の作用をしてしまっている。分断された《雲の向こう》にそびえ立つ塔というイメージから物語を組み立てていったのだろうけれど、それがヒロインに関与するのは何故なのか? とか*1、半径20kmの異相空間は地上だけではなく上空にも及んでいるんじゃないの? とか*2、べつにわざわざ飛行機を自作しなくても移動できるんじゃないの? とか*3、疑問が次々に出てくる。
 断片的な要素を積み重ねて寂寥感を駆り立てるという手法は『ほしのこえ』と同一。こちらでも、なぜ少女が戦闘に出向くの? といったところで疑問があったのだけれど、そういった考証の甘さが今回は全面に出てきてしまっている。架空と現実の混成に失敗しているんだよなぁ。つまり、スパイスとしてほんのちょっぴり加えるべきフィクションの分量が多すぎる。この作品を生かすためなら、現実への歩み寄りを放棄し、世界の謎は謎のままとして触れずにいたとしても悪くなかったように思う。
 映像表現としては、すごくいい。気品がある。でも、物語を練り上げるという能力が、新海誠には決定的に欠けている。これを小説化しても、ちっとも面白くない。もし本作を30分間くらいに切りつめ、セリフ(特に地の文)を取り払ったら、優れたビデオ・クリップになるだろう。たぶん『ヨコハマ買い出し紀行』のように、世界観は所与のものとして扱われ、たおやかな時間と光を心ゆくまで楽しめる作品になると思う。映像作家としてなら、新海誠は一流の人材だ。彼に次回も《物語》のある映画を作らせるなら、アイデアを補正(ブレイン・ストーミング)して高めてくれる演出者(プロデューサー)が必要だろう。
 とにかく、惜しい。
http://www.kumonomukou.com/
http://www2.odn.ne.jp/~ccs50140/新海誠
http://theaterkino.net/シアターキノ

*1:理論を組み立てた人物と血縁関係にあることが関わってくる問題だとは思えない。

*2:地上は荒廃しているのに、接近しても安全なのか。

*3:移動手段としては危険であるし、費用対効果が釣り合わないだろう。

Diarios de Motocicleto

 師事している道幸哲也教授は、大の映画好き。先生の発案で、映画鑑賞会と相成りました。何を観るのかも聞きそびれていていたので、席についても何が上映されるのか知らなかったのですが……
 なんか、いきなりスペイン語が出てきてびっくり。もちろん日本語字幕もありましたが、聞き取りやすい発音だったのでスペイン語音声で鑑賞。なんか、日本に帰ってきたという気がしないんですけれど(笑) 
 というわけで『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観てきました。チェ・ゲバラの手記を元にした作品だということには、5分ほど経ってから気がつきました。
 悪くはないんですけれど、盛り上がりには欠けますねぇ。あえて躍動感を「削ぎ落としている」というように感じました。思想的な部分は、ほとんど無いに等しい。表面に出てきたのは、銅山で働く労働者のくだりで少しだけ。療養所で読んでいた本が共産主義についてのものだったけれど、ここはスペイン語のわかる人が注意深く見れば気がつく程度の扱いだったし。ゲバラのことをキューバ革命の偉大な指導者であると認識している人に向け、彼の意外な(穏やかな)一面を強く印象づけるための作りをしたのでしょうか。
ISBN:4043170025(原作)
http://www.herald.co.jp/official/m_cycle_diaries/

酔いどれ天使

 昨日から引き続き機内です。食事が出たあと、軽く2時間ほど眠って目が覚める――という、いつものパターン。
 各座席にパーソナルテレビが付き、番組を選べるようになったのは有り難い。黒澤明酔いどれ天使」を観る。1948年の制作で、戦争直後の街角がかえって新鮮。タイトルの「酔いどれ天使」とは、アルコールに依存する医者(志村喬)のことなのだけれど、並んでいると結核にかかったヤクザ(三船敏郎)の方に視線が向かってしまう。眼光の鋭さのせいで。病院の前にあるドブもまた1人の重要な役を演じているのだけれども、白黒映画ならではの陰影の深さが良かった。

 映画を見終わったら、ふたたび機内食の時間。朝食はハム入りオムレツでしたが、微妙な味付け……。

Garfield

 海外在住日記
 知人のところへ帰国の挨拶に出かけようとしたものの、ちょっとばかり早かったので、時間調整のために映画館へ。お気楽なものがいいだろうということで「ガーフィールド」を観てきました。
 つまんなかった。
 デブなネコが主人公。飼い主が、獣医さんの歓心をかおうとしてイヌを連れてきたのだけれど……という筋立て。
 実写にネコを特殊合成している技術は、すごいのでしょう。でも、それだけ。ストーリーに大問題があって、オーディー(イヌ)がさらわれてしまうあたりは不可解。
 動物を主人公にしたものは、人間にはない仕草の愛らしさが魅力。ところが本作は《合成》であることがわかるので、ガーフィールドの動作を動物のそれとして捉えることはできない。「トムとジェリー」のように、人間にはできないドタバタ喜劇を演じてくれるわけでもない。その弱点をガーフィールドの《しゃべり》で補おうとしているのはわかるのだけれど、楽しくないんですよね。後ろの席に女の子が8人ほど座っていたのだけれど、笑い声がしたのは1度きり(それも、換気ダクトに衝突するお約束の場面で)。
 スペインでは、人気がないと即座に打ち切りになるのですが、すでに上映本数が間引かれていました。近く日本でも公開されるとのことですが……

The Terminal

 海外在住日記
 昨晩、映画を観てきました。スティーブン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の「ターミナル」。日本では新春公開だそうです。
 あらすじ―― 舞台はジョン・F・ケネディ空港(ニューヨーク)、主人公は東欧の国から来た男。機中にあった間に戦争が勃発し、祖国は消滅していた。パスポートも入国ビザも効力を失って合衆国へ入国できず、さりとて戻る国もない。入国管理官からはぞんざいな扱いを受ける。トランジット・エリアという、合衆国という国土の上にありながら合衆国ではない場所で、男はひたすら待ち続ける生活をはじめた。
 ありえない話です。法律家の目でみると、たとえ政権が打倒されても、新たな国家が成立したことを周囲が承認していなければ、以前の政権との間で交わされた国家間の約束事は効力を保ち続けるのですから。
 どうも変なので情報を探ってみたところ、ある実在の人物(アルフレッド・マーハン氏)をモデルにしているらしい。現実の舞台は、シャルル・ド・ゴール空港(パリ)。イラクを国外追放になり、英国からは難民としての受け入れを拒否された人物が、空港に住み着いて16年になるのだとか。見かねたフランス政府が入国許可を発したのだけれど、その書類に記されていた名前が捨てた名前であったため、当人が署名を拒んだというのが経緯。いかにも、包容力のあるフランスならではの話だなぁ。
 すでに「パリ空港の人々」という映画が作られているので、アレンジを加える必要があったのでしょう。場所をフランスからアメリカに移し、どこにも行けない理由を戦争のせいにし、そこにコメディと恋愛の要素を加えて。
 ぉぃぉぃ、ちょっと待て。現実の方が遙かに切実で、興味深いではないですか。映画が負けてどうする。パリの男は、自己の尊厳を守るためにサインさえすれば得られる「自由」を放棄していたりと、いろいろ考えさせてくれます。本作で組み込まれたキャビン・アテンダントとの恋に至っては、男女関係を挟むしかドラマを盛り上げる術を知らないのかと手腕を疑ってしまう。
 比べてみると、スピルバーグが娯楽に仕立てるべく加工した部分は軽薄で、ともすれば浅はかに感じられてしまいます。余談を交えずに単体で映画を評価すると、決して悪くはありません。「でも」という言葉が続いてしまう作品でした。あとね、これ、母国を離れている時に観るべきではありません〜(^^;) 私が誰であるかを証明するものが何もない、という事態は、絵空事ではないので。